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2016年7月17日 (日)

会津若松その2 ソースカツ丼

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会津若松の地元グルメとしてググってると、味噌田楽、輪箱飯、馬刺し、めっぱめしなるものが色々出てきますが、そんな中B級グルメとしては、ソースかつ丼、会津ラーメン(喜多方ラーメンと一緒か?)、カレー焼きそばなるものがある。

そんな中、やはり食っとくべきはソースかつ丼でしょう。

伝統会津ソースカツ丼の会なるものまであり、CDまで出してると言う気合の入れようです。

会津若松にはソースかつ丼のメニューがある店が多いですが、各店でいろいろと違う特色があるみたいです。

そこで最初に行こうと思ったのが、白孔雀食堂です。

丼鉢からはみ出るくらいのカツが特色でやたらと美味しそうでした。

この白孔雀食堂が若松城から飯盛山へ行く途中にあるので、若松城の次に飯盛山へ行こうと思いました。

ちなみに会津若松駅に着いたのが12時前で、若松城を出たのが14時過ぎなので14時半くらいには白孔雀食堂には着きました。

だいたいどの店もお昼は15時位までやってるっぽいので大丈夫(行列もなくなってるだろう)と思って訪れたところ、「品切れのため本日の営業は終了しました」という張り紙が。。。

確かによく調べてみると15時とか16時まで(但し、品切れになると閉店)と書いてあった。

ちなみに白孔雀食堂は一見すると店がわかりにくい、普通に古い食堂ッて感じの店でした。

がっくりきつつ、だいたいの店は15時で閉まる(というかラストオーダーは14時半くらいか)ことを考えると、もう昼飯は諦めました。

ということで夕食の17時に行こうということで、先に飯盛山に行ったり、その他墓巡りをしました(後述)。

で、今回選んだソースかつ丼の店が「とん亭」です。

とん亭は若松城から会津武家屋敷に行く途中にあります。

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17時ちょっと前に着きましたが、入れてもらえました。

かつ丼というよりカツ重です。

普通のソースカツ重で1080円、上ソースカツ重で1180円、こだわりソースカツ重で1380円とかでした。

八重うまっソースかつ丼なるものもあり、これは桜肉つまり馬肉のカツ重です。

が、今回頼んだのは期間限定の会津極上ソースカツ重1500円を頼みました。

豚肉は福島県産ブランド豚のエゴマ豚です。

これは正直滅茶苦茶美味かった。

うまいと笑いが思わず出てしまう(銀の匙でもやってましたが)。

さすがに声を出しませんが、ニヤけていたような気がします。

どこかで食べたソースカツ丼はトンカツにソースがかかってるような感じであまりおいしくなかったですが、このソースカツ丼はソースというかソースのたれにトンカツをしっかり漬けて味を着けている感じがしました。

ちょっと甘めのタレでご飯と一緒に食べるとよく合いました。

肉厚だし、結構ボリュームはありましたが簡単にペロリと食えました。

これはお勧めできるくらいに当たりです。

近所にあれば、ご褒美とか月1くらいでは行きたい感じですね。

非常に満足しました。

できればまた来たいところですが、他の店も気になるところです。

ちなみに隣の隣に一風亭という店があり、ここもソースカツ丼で有名でここにはラーメン(会津?)やらカレー焼きそばとB級グルメが揃ってます。

ラーメンとソースカツ丼のセットもあるので、両名物を食べれてお得かもしれません。

会津若松その1 若松城後編

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干飯櫓を出ると石垣の上なので、そこから降りて南走長屋の下に鉄門(くろがねもん)があり、そこがだいたい撮影スポットになっているようです。

よくある写真がここから撮った画像。

干飯櫓から出てすぐのところも撮影スポットではあるものの、若干木が邪魔でした(前編最後から2番めの写真)。

前編の最後に載せた写真に鉄門の下から撮った写真を載せてます。

鉄門を入って左側(マップでいうところの帯郭)に「上杉謙信公仮廟所跡」がありました。

全部読む前に上杉謙信は会津来てないはずだが・・・と思いましたが、これは上杉謙信は甲冑姿で瓶(かめ)に納められたと伝えられて、会津移封に伴い仮に安置されたようです。

上杉景勝が米沢移封になったあとはそっちに移動したようです。

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で、城のあとはその向かいにある茶室「麟閣」に向かいました。

麟閣は千利休の子の千少庵(女婿)のために蒲生氏郷が造った茶室です。

蒲生氏郷は利休七哲の一人で、千利休が豊臣秀吉により切腹させられた後、氏郷が少庵を会津に匿い、徳川家康とともに秀吉に対して「千家再興」を願い出た結果、許されて、千家茶道は少庵の子の宗旦に引き継がれ、その孫により武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興されて、現在に至るとのこと。

そのことからか蒲生氏郷は利休七哲の第一に上げられている。

戊辰戦争後も大切に保存されてきて、平成2年に元の場所へ移築復元したものだそうです。

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屋根付きで座れるバス停みたいな感じで、茶室に入るまでに待つ場所である「腰掛待合」、高さがやたらと低い「中門」、待ってる間他の客としゃべるスペースである「寄付」などがある。

喫茶することも可能だが、当然この茶室ではないところ(受付の横)で喫茶出来る(600円)。

目の前で点ててくれるわけではなく、事前につくって冷やされたものらしいので、侘び寂びもあったもんじゃない。

喫茶する趣味はないので、私はスルーしました。

その茶室の城壁側には「荒城の月碑」がある。

荒城の月は土井晩翠が作詞したものだが、鶴ケ城と青葉城(仙台城のこと)をモチーフにしたらしいので、ここに碑があるみたい。

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碑には荒城の月の第1番~4番までが土井晩翠の直筆で書かれている。

ちなみに茶室もそうですが、一般客は城とおみやげ屋以外にはほとんど寄り付かないみたいです。

私は石垣の上に登って一通りぐるっと周ってきました。

茶室のそばにある茶壺櫓、武器収蔵スペースだけど櫓にかかる月が一際美しかったという月見櫓(解説の中の中国語のところでは望月楼と書かれてる。月見じゃわからんのか?)などがありました。

内堀の石垣は広さもそうですが、結構高い(20mくらいあるとか)。

赤い橋の廊下橋側から見ると、その高さがわかる。

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その廊下橋から城を出て福島県立博物館の方へ向かうと、新島八重の像や司馬遼太郎文学碑などがある。

この辺りかどうかわかりませんが、新島八重が雑穀蔵に和歌を刻んだとか。

「月が物凄いように輝いていた」と回想していたくらいだから、ここから月見櫓沿いに眺めていたのかもしれない。

この後は飯盛山まで北に4kmほど歩いて移動しました。

効率よく行くなら、そのまま東に行った会津武家屋敷に行ってみるのがいいかもしれません。

会津若松その1 若松城前編

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那須の長期出張もあと2週間程度で、天気予報では曇りと微妙だったのですが、出かけるチャンスもあまりないということで思い切って会津若松に行ってきました。

意外と晴れて良かったです。

会津若松へは那須からだと、黒磯駅から東北本線で郡山駅へ行き、磐越西線に乗り換えて会津若松駅まで行きます。

どちらもだいたい1時間程度(磐越西線の方は快速で)で、1時間に1本くらいしかないので、乗り換えが悪いと待ち合わせで数十分なので、だいたい2~3時間かかります。

東京からだと新幹線で郡山駅まで行くことになります。

まずは若松城へ向かいました。

若松城へは会津若松駅で只見線に乗り換えて2駅の西若松駅からの方が近いですが、乗り換えの間隔が合えばそちらでよいかもしれません(只見線は1時間に1~3本ほど走っているのでまだ乗り換えやすいかも?)。

もしくは周回バスがあるのでそちらに乗るといいでしょう。

特に後で書く飯盛山等に行くなら1dayパスなりお得なものを買った方がいいかもしれません。

私も当初はそうするつもりでしたが、どうせバスの本数少ないだろうなということで辞めました。

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歩いて行く場合は会津若松駅から南に1.8kmほど歩いて、そこから東に0.3kmほど歩いたところにあります。

途中に興徳寺(蒲生氏郷の墓(後述))や山鹿素行生誕地などがあります。

東に曲がらず、真っ直ぐ行くと大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重生誕の地があります。

新島八重(兄の山本覚馬もですが)生誕の地は完全に民家にあります(石碑が民家の玄関にある)。

たぶん普通のルート?で、追手門の方から北出丸の方面経由で若松城に入りました(追手門の前に売店等があります)。

そこから椿坂を登って太鼓門を通って行きました。

太鼓門のところの石垣には遊女石というひときわ大きな石があります。

大きな石であるため、石を運ぶ際にその上に遊女を乗せて運び人を奮起させて運ばせたことから遊女石という名が着いたようです。

こういう石垣に嵌めこまれたデカイ石として上田城の真田石があり、そういうので一番でかいのは大阪城にあるとか(蛸石とか?)。

以上のことは案内板とかにもなんにも書いておらず、たまたまツアーの団体さんのガイドさんが解説しているのを立ち聞きしました。

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その太鼓門を過ぎたところから見える若松城が左の画像です。

五層五階建てで、かなりでかい天守です。

間近でみると迫力満点です。

若松城は地元では鶴ケ城と呼ばれていて、一般的には会津若松城、史跡としては若松城跡で指定されている。

もともと若松城は、蘆名家の時代は黒川城と呼ばれていて(当然天守とかはない)、その蘆名家が伊達政宗に敗れた後はすぐに豊臣秀吉の奥州仕置によって会津は没収され、蒲生氏郷が最終的には92万石の大名として会津に封じられます。

その蒲生氏郷が築いたのがこの若松城になります(もともとは7層の予定だったらしいが)。

この若松という地名も、蒲生氏郷の出身地である近江日野城の近くにある「若松の森」に由来するし、「松」もこの松も会津に来る前に居た「松坂」に由来するとも言われている。

ちなみに松坂も、もともとは松ヶ島というところに城があったものの氏郷が不便だということで別のところに城&城下町を築き、そこを松坂という名をつけたところに由来する。

地元民や蒲生氏郷好き以外はあんまり知らないことだろうけど、氏郷はかなり有能で現代にかなり影響を及ぼしている人物です。

また別名の鶴ケ城は氏郷の幼名の「鶴千代」や家紋の舞鶴に由来する。

あと伝統工芸品に会津漆器があるが、これも氏郷が会津に移った際に日野とか松坂にいた漆器職人が氏郷をしたって付いて来て定着した工芸品だったりします。

その後蒲生氏郷が若くして死んだりその子が若いということもあって、次に来たのが上杉景勝(&直江兼続)で、関ヶ原の前哨戦として家康が上杉征伐に乗り出したところでもあって有名です。

このときに若松城に代わり、その規模を超える神指城という城を築こうとしたが、思ったより早く開戦し、関ヶ原も一瞬で終わっちゃったので陽の目を観ることがありませんでした。

その神指城跡も行こうかなと思いましたが、時間がなく断念しました。

上杉の後は氏郷の子の蒲生秀行が入ったが、秀行もその子も夭折したので、その代わりに賤ヶ岳七本槍の一人である加藤嘉明が入りました。

その頃に会津地震が起きて、天守も崩壊し、その後五層建てとして再建築されたのが今の若松城の原型?

その加藤家が改易となった後は、徳川家光の弟の保科正之が入封し、明治維新の会津松平家へと続きました。

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さて、先の太鼓門側から左手側に向かって武者走りをすぎたところに天守への入り口があります。

その入口側から撮った写真が左の画像。

さすがに知名度がそこそこ高いのか人が並ぶほどではありませんが、居ました。

入場料は茶室麟閣と合わせて510円です。

若松城は外観だけの復元天守なので中は鉄筋コンクリートで展示品や企画展(歴代城主について)だけなので、展望台からの眺めを楽しみたい人以外は入ってもしょうがないかも。

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企画展の展示品はだいたい見たことがあるようなものばかりでしたが、唯一見たことがなかったのが「泰西王侯騎馬図屏風」です(左の画像)。

日本人絵師がイエズス会のセミナリオ指導のもと西洋風に描いた作品とのこと。

止まっている静図(画像)のものと剣を構えて戦おうとする動図がある。

展示されているのは複製品らしいですが、でかいし意外性があって迫力ありました。

背景の金箔、墨絵による下図、彩色の岩絵の具が使用されていて日本画ぽいところもあり、和洋折衷な作品で、じっくり見てみるといいかなと思います。

キリシタン大名であった蒲生氏郷に対して、イエズス会がキリスト教禁止策の緩和や南蛮貿易の後押しを願うために送られたものと考えられているようです。

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五層目の展望層からの眺めが左の画像。

下に見えているのが麟閣です。

どこでもそうですが、天守閣あたりは風がそこそこ強くて心地よいです。

そして天守を降りると、南走長屋があり、そこを過ぎると干飯櫓(文字通り食料庫)でそこがお土産屋になっている。

若松城のオリジナルの製品を始め、会津若松のお土産品、白虎隊ものとか書籍が売ってました。

私は歴史オタで蒲生氏郷ファンなので、蒲生氏郷と会津若松市史(蘆名家について)を購入しました。

とりあえず長くなったので若松城前編は写真を何枚か貼って終わりにします。

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2016年7月10日 (日)

回顧の滝(みかえりのたき)

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あともう一つ、もみじ大吊橋のバス停から徒歩数分で行ける回顧の滝(みかえりのたきと読む)に行ってきました。

もみじ大吊橋の次のバス停に回顧の滝があるが、歩いても大したことはない。

回顧の滝は尾崎紅葉の金色夜叉でも紹介されている塩原を代表する滝らしいです。

景色が美しく、「去る旅人が振り返らずにいられない」と言われたことから、この名が付いたそうです。

まずもみじ大吊橋から歩いて行って回顧の滝のバス停付近に行くと「蟇石(がまいし)園地」というところに辿り着きます。

蟇石園地から遊歩道(塩原渓谷歩道)があって、そこからまず回顧の吊橋へ向かいます。

回顧の吊橋に行くには二つのコース(と言っても200mもない距離)があり、坂が急なコースと緩やかなコースがある。

緩やかが普通の坂(階段)で、急なほうはちょっときつ目です。

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とりあえず私は急な方から行きました。

そうすると途中で合流し、そのすぐのところに吊橋があります。

ちなみにもみじ大吊橋の入り口から右手方向を見ると吊橋が見えますが、その吊橋が回顧の吊橋のようです(逆に回顧の吊橋からもみじ大吊橋が見えました)。

回顧の吊橋の解説によると、吊橋は主索と呼ばれるケーブルで支えられていて、体重55kgの大人が360人乗っても耐えれるそうです。

また横風を防ぐための耐風索もあり、風速55mまで耐えれるとか。

実際に渡ってみると多少揺れる程度ですが、他の人が渡っている時に渡ろうとすると結構揺れてます。

一人の時にはあまり感じませんでしたが、意外と揺れてるみたいです。

全長100mとありますが、もっと短く感じました。

渡ってすぐのところに分岐点があり、左側に行くと留春の滝(2.8km)、右側に行くと回顧の滝の展望台があります。

ということで右側に10mいくと展望台から回顧の滝を眺めることができます。

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展望台から滝までは結構離れてますので、大分小さく感じました。

よくよく考えたら今年は水不足っぽいし、そのため流量が少ないかもしれません。

季節的なものもあるし・・・微妙なときに来てしまったのかもしれない。

本来なら梅雨の時期(後半)だし、もっと流量があってもよさそうなのに・・・ちょっと残念でした。

で、滝を堪能したあと元に戻り、先ほどの分岐点でもう一方の留春の滝を目指すかどうか悩みました。

結局行きませんでしたが、行かなかった理由としては留春の滝まで山道で2.8kmほどあり、行くような格好ではなかったことと、前日に軽く雨が振ったため道がぬかるんでいたことです。

ちなみに今日は那須から横浜に戻る予定だったので、パソコンとかいろいろ持ってました。

いつもの渡しならそんなこと構わず行くところですが、さすがにぬかるんでる道を行くのは危険だなあと思いました。

この塩原温泉郷はその他にも結構滝とか観賞するところが多いので、温泉で宿泊するついでにハイキングがてら観光してみるといいかもしれません。

もしくはところどころ駐車場があるので、車で見て回るのがいいかも(というかそれが普通か)。

もみじ大吊橋&スープ入り焼きそば

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那須塩原のご当地グルメとして「スープ入り焼きそば」なるものがあるみたいなので、それを食べに塩原温泉郷に向かった。

塩原温泉郷にはJRの那須塩原駅かその隣の西那須野駅からバスで行ける。

黒磯駅からも温泉行きのバスもあるが、これは板室温泉とまた別の温泉です。

温泉行ってのんびりするなら終点の塩原温泉ターミナルまで行けばいいですが、私は温泉までは入るつもりはなかったので軽く観光もできるところということで、もみじ大吊橋に行ってきました。

もみじ大吊橋までは西那須野駅からバスで25分くらい(那須塩原駅からだと50分くらい)です。

運賃は検索しても出てきませんでしたが、西那須野駅からは760円、那須塩原駅からは950円とそれなりのお値段です。

基本的に皆さん車で行くのかバスに乗る人は皆無です(1時間に1本しかありませんし)。

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もみじ大吊橋のバス停からもみじ大吊橋へはちょっと降ったところにあります。

もみじ大吊橋は塩原渓谷にかかる全長320mで無補剛桁歩道吊橋としては本州一だそうです。

通常の吊橋は吊橋に架かる荷重を支えるための補剛桁などを設けている。

補剛桁がそれだけじゃなんのことかよくわからないので調べてみると、明石海峡大橋の画像で言うところの赤枠の部分の四角形に1つの対角線を引いたような、三角形を組み合わせたような桁のことを言うそうです(構造学的にはトラスというのでトラス橋というらしい)。

もみじ大吊橋ではワイヤーロープを横に張ることにより吊橋の強度を高める構造になっている歩行者用の吊橋だそうです。

利用時間帯は8:30~18:00(11/1~3/31は16:00まで)で、渡橋料で300円かかります。

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ということで渡ってみました。

高さはそれほど高くありませんが、結構揺れます。

ちょっと強めの風が吹いても揺れますし、私が渡っているときはちびっ子が体全身を使ってゆらしてくれた(それも縦ではなく横に)ので、結構揺れました。

まあ、それでもこれくらいなら適度に揺れる程度で問題ない程度でした(私は乗り物酔いし易い人間で平気なので体外の人は大丈夫なはず)。

画像の下に見えるのは塩原ダムです。

渓谷の中のダム湖が映えて、なかなか景色は綺麗でした。

が、橋の名前の通り秋とかに来たほうが紅葉が綺麗そうなので、秋に来た方が良いでしょう。

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ちなみに対岸に渡っても特に何もありまえん。

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対岸から吊橋を見た方が見た目はいいかなという感じです。

あえて言うなら、もみじ大吊橋は「恋人の聖地」として選定されているようで、対岸の広場に恋人の聖地シンボルモニュメントとしてオスとメスのクマタカの像が設置されています。

恋人の聖地プロジェクトなるものがNPO法人地域活性化支援センターにより2006年から始まり、全国の観光地の中からプロポーズにふさわしいロマンティックなスポットを「恋人の聖地」として選定しているそうです。

確かにカップルらしきものが何組か居ましたが。。。。

で、写真を取りながらブラブラした後、吊橋を渡って戻り、目的のスープ入り焼きそばを食べに行きました。

そこはもみじ大吊橋に隣接している「森林の駅レストラン」で売っています。

11時半くらいに行きましたが、客は全然居なかった。

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ということでさっそく注文しました。

そんなに時間はかかりません。

スープ入り焼きそばは炒めたてのソース焼きそばをどんぶりに入れ、しょうゆ味のスープを注ぐだけという至ってシンプルなもの。

見た目的にはキャベツとか焼きそばの具材が乗ったラーメンですが、食べてみると確かに焼きそばです。

ソース味が濃くなりそうなもんですが、全然濃くなく思ったよりかは美味しかった。

確かにスープもソースを醤油ベースのだしで薄めた感じはしましたが、違和感は特になく、普通に飲める。

いいバランスで調整しているんでしょうねえ。

なかなかレアなものを食べました。

塩原温泉郷まで行かなきゃ食べれないのが厄介なところですが、行った時には是非食べてみるといいと思います。

そんなに難しいもんでもないですし、東京とかで1店くらい出せば、普通にレア性があって流行りそうなもんですがねえ。

と思ってググってみると、都立大学駅の近くの「麺家 八の坊」というところで食べれるみたいです。

気が向いたら行ってみよ。。。

2016年7月 2日 (土)

南湖公園

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白河小峰城から大分南下したところにある南湖公園に行ってきました。

南湖公園は松平定信公が「大沼」と呼ばれていた湿地帯に堤を作って水を貯め、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築造した場所です。 

日本最古の公園だとのこと。

私はアホみたいに歩いて行きましたが、新白河駅の方からバスが出てるみたいです。

ちなみに遠すぎて行かなかった白河の関へもバスが出てますが1日に二本しかありません。

白河駅の方からGoogleマップを見ながら最短距離で行ったつもりですが、3,4kmくらい歩きました(途中山を超えました)。

南湖公園の西から南そして東側という順序で回りましたが、西側は藻かなんかで若干汚いし、東側は気持ち悪いくらいに蓮の葉(花も咲いてました)が生息してました。

南湖公園自体はおまけみたいなもので(ちなみに手こぎボートがあります)、東側に松平定信が祭神の南

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湖神社と、日本庭園である翠楽園があり、特に南湖神社の方が人が多かった。

まずは南湖神社に行きました。

参道沿いにはシダレ桜である「楽翁桜」があるみたいですが、やはりこの季節だと全く気になりませんでした。

ちなみに楽翁というのは松平定信が後に名乗った号です。

続いて、翠楽園。

中央に池、それに隣接した松楽亭(抹茶と茶菓が食べれる)と、赤松や楓等の木々が綺麗に整備されたザ・日本庭園でした。

入場料は320円、上記の呈茶を加えると780円です。

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4月だと桜が、8月だと池に燈籠を浮かべてライトアップされてその風景を見ながら喫茶したり、秋だと色鮮やかな紅葉が楽しめるようですが、この7月は何もない。

花もあるそうですが、どれも季節じゃない。。。

ただ全部緑というのもなかなか癒やされていいものです。

水の流れる音を聞きながら、緑で癒されてのんびりして浸りたかったところですが、如何せん一人だし、せっかちなのでそこまでのんびりしませんでした(比較的ゆっくり見て回りましたが)。

できれば松楽亭に入って喫茶しながら、のほほんとするのが望ましいし、景色もよさ気なんでしょうが、私には合わないような・・・特に口が。

ここで後で書く団子があれば間違いなく入ったでしょう。

とりあえず何枚か貼っときます。

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ということで翠楽園でのんびりした後、本当は南湖団子でも食べようかと思いました。

ですが、お腹は空いてなかったし、白河ラーメンで炭水化物を食べ過ぎたので辞めました。

南湖団子のみたらしは醤油ではなく、味噌味とのことなので、悩んだのですが・・・

ちなみに南湖公園沿いは白河ラーメンの店がいっぱいあります。

よくわかりませんが、100mの間に4件が連なっていたりするくらいに白河ラーメンばかりでした。

そして、また新白河駅まで歩いてそのまま帰りました。

なんだかんだでずっと歩いていて10km以上は歩いたようです。

白河ラーメンのカロリーくらいは消費しただろうか。

ググッて気づいたのですが、新白河駅に味噌みたらしのお土産があるそうな。

おみやげコーナーみたんですが気づきませんでした。

今回は近場の白河に行きましたが、次は会津若松で、余裕があれば二本松当たりにまで進出しようかと思います。

白河小峰城

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白河小峰城は白河駅を降りて、線路を挟んで反対側に出たところのすぐにあります。

映画「武士の一分」のロケ地だったとか。

白河小峰城は先に名を出した結城宗広の嫡男、結城親朝が小峰ヶ岡に築城し、小峰城と名付けられたのが始まり。

その後白河結城氏として世襲されるものの、豊臣秀吉の奥州仕置で改易となり、江戸時代に丹羽長重(丹羽長秀の嫡男。関ヶ原で西軍について改易されたものの、見事大名に復帰したお方)が城主となって大改築を行ったそうだ。

その後の大名家としては丹羽→榊原→本多と徳川四天王の一族が大名となって、その後はXX松平氏で、最後は阿部氏となる。

松平の中では徳川吉宗の孫で、寛政の改革で有名な松平定信が城主となっている。

定信は失脚後民政に尽力したので、白河では名君として慕われている。

この小峰城で大々的に紹介されているのは丹羽長重と松平定信。

現在の白河小峰城(三重櫓)は復元天守で、それも木造の復元天守です。

復元天守は名前の通り復元した天守であるが、外観だけ復元した外観復元天守(実際は木造ではなく鉄筋コンクリート)があり、名古屋城なんかそうですが、結構残念です。

昭和時代に復元されたものは外観復元天守で、現在の文化庁は木造復元のみ「復元」として認めているそうな。

あとは掛川城なんかが木造復元天守らしい。

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ということで小峰城は木造復元天守ですが、解説員のおっちゃんが言うには東関東大震災でも天守は無事だったそうで、石垣は崩落してしまって、現在もまだ復元工事中とのこと。

なので、たぶん本来のルートである正面の前御門のところからはまだ入れないのが残念。

前御門側から撮った小峰城が左の画像。

どうでもいいですがこの工事を請け負ってるのが鈴木建設なので、釣りバカ日誌を思い出しました。

石垣が本丸を囲むようにあるので結構広く立派なもんですが、ほとんど工事中なので見た目的には残念でした。

天守近辺のみを先行で復興させたのかな?

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で、石垣ですがなんかやたらと綺麗です。

ところどころ曲がっている(放物線)のように見えます。

たぶんこれは放物線上にした方が加えられた力を分散して、地震とかに強くするためのものなんじゃなかろうかと思われます(石橋とかと同じ理屈かな?)。

自然石を使った野面積みの方が石垣っぽいですが、関ヶ原以降はこういう加工された石を使った石垣が主流みたいです。

野面積みは凸凹して登りやすいですが、排水性に優れているようです。

ということで石垣が中途半端なのか、会津若松城に比べて知名度が低いせいなのか、ちっこいせいなのかわかりませんが、あまり人は居ませんでした(じっちゃんばあちゃんが9割)。

天守は無料で入場できます。

先に書いたように木造で、戊辰戦争における銃痕が2箇所ほどありました。

戊辰戦争で白河口の戦いで激しい戦いがあったそうです。

八重の桜を見ていれば多少その辺も興味をもって見たかもしれませんが、見てないし、戊辰戦争として私が今のところ興味が有るのは長岡藩の河井継之助の当たりまでなので、範疇外でした。

木造だけあって階段を登るときはギシギシいいますし、なぜか2階3階へは5人以上登れないという制限付きです。

待ってる間は解説員のおじさんが話し相手になってくれます(私は又聞きしていたし、待つほど人がいなかった)。

石垣自体はあと2年ほどで修復するとかなんとか。

ちなみに中からの景色は狭間の間からしか見えないので、ちゃんとは見えません(風雨にさらされることを考慮して窓を小さく開いているらしい)。

ということで小さいのでさくっと見れますが、そこそこ見栄えがいいので私としては結構好きです。

あと、この城山公園の茶店には白川バーガーなるものが売ってるようです。

白河

福島市白河市に行ってきました。

目的は白河小峰城に行くことで、その他に適当に回ってきました。

なのでブログ記事としては白河小峰城、南湖公園、白河(本記事でその他もろもろ)の3つに分けます。

時系列順で述べるわけではないです。

今、栃木県那須塩原市にいるのですが、白河駅には黒磯駅からJR東北本線で26分程度です。

他県ですが隣接しているので結構近いのですが、如何せん電車が1時間に1本しかありません。

昼前に行ったので、まずは昼食ということで白河市の名物である白河ラーメンを食べようと思いました。

他の名物は白河そばですが、やはりラーメンをとりました。

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白河ラーメンはシンプルな醤油ラーメンで、幅の広い縮れ麺です。

白河市のとら食堂が発祥で、そこの初代店主竹井寅次氏の作るラーメンが人気となり、その弟子たちが独立して出店して、市内で広がったのが白河ラーメンだそうです。

どこの店にもラーメン店としては珍しく、手打ちラーメンと書いてました。

私が行ったのは白河駅から徒歩で10分もかからないところにある「鈴木食堂」に行ってきました。

ややこしいことに南湖公園側に「すずき食堂」があり、そこにも白河ラーメンがあるので注意です。

開店が11時半で、ちょうどその頃に行きましたが、すでにテーブル自体は(私でちょうど)満席でした。

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メニューはら~めん、ごまら~めん、白みそら~めん、しおらーめんのみ。

私はシンプルに普通の大きさのら~めんで600円(大盛り700円)。

シンプルイズベストな醤油ラーメンでした。

ちょっと太めの縮れ麺にスープが絡まって美味しかったです。

麺の歯ごたえもムチッとしてよかったです。

チャーシューも脂身がないし、味が染みこんでうまかった。

満足しました。

時系列的には逆ですが、11時半までちょっと時間があったので駅から数分の距離にある関川寺に行きました。

関川寺は南北朝の頃の白川城主結城宗広が開基した寺です。

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結城宗広は南朝側の夭逝した公家将軍北畠顕家の副将的存在で、南部師行ともども有能だったぽいです。

北畠顕家ものの小説等を読んでいると登場してくる名将で、それで私も知りここに墓があるので行ってきました。

ちなみに北畠顕家の墓は大阪府堺市の石津にもあり、そこに行ったことがあります。

北畠顕家は石津の合戦で戦死したのでそこに供養塔があります(めっちゃわかりにくいところにあります)。    

その他に赤穂義士の一人である中村勘助の妻の墓もあったみたいですが、赤穂浪士ものを何冊か読んだとは言え、さすがに全員覚えていないし、あまり聞いたことがないのでスルーしました。

ということで結城宗広の墓を詣でてきました。

あとこの寺には結城桜という樹齢200年のシダレ桜があるが、さすがに桜は咲いていない。

桜の季節なら関川寺に行ってみるといいでしょう。

あと行きませんでしたが、行きたかったところとしては白河の関、丹羽長重廟(小峰城初代城主)、白河城跡(別名搦目城)がありました。

さすがに歩いていくには遠く、やはり観光地巡りするには車を運転できなきゃ駄目だなあと通関しました。

ちょっと考えよ。

2016年5月13日 (金)

肋軟骨炎

帰省から戻ってきた翌日、朝起きてみるとなぜか胸に違和感というかかなり弱い鈍痛があった。

常に違和感があるので、何年か前にあった肋軟骨炎ではないよなと思いつつ、そこまでの痛みでもないしほっといたら治るかと思ってその日は過ごした。

そして寝て早朝、胸の痛みで目が覚めた。

呼吸しても痛いし、胸をはるようなしぐさをすると痛い。

胸を丸めるようにすると痛みが収まるので、十中八九肋軟骨炎が発症したみたい。

前回どうだったか忘れましたが、今回は呼吸でも結構痛いのが辛い。

ちょっと深めの呼吸をすると痛みで呼吸を止めてしまいむせる・・・

結構まずいのでは?と思い、仕事帰りに医者に行って診断してもらった。

やはりレントゲンを取ってもらったが異常はなく、肋軟骨の炎症かなあということで薬を処方してもらった。

ロキソプロフェンNa錠と消炎、鎮痛剤とレバミピド錠という胃の粘膜を保護する薬と、あと外用薬として炎症を抑える塗り薬。

とりあえず飲んでみると、一晩で痛みがほとんどなくなり、その日過ごす頃には全く痛みがなくなった。

風邪以外で痛みを感じた時はさっさと医者に行くのが無難ですね。

2016年5月 5日 (木)

薬師寺

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目的の薬師寺に行きました。

法隆寺でちょっとのんびしすぎたせいか、薬師寺についたのは16時前でした。

「噂の刀展」は17時までで入館が受付は16時半までだったのですが、並ぶほどに待ちが出ていたこともあり、17時までに受付に並んでいれば入れるということでした。

全体的に薬師寺は法隆寺より人が多かった。

薬師寺は白鳳伽藍と御国玄奘三蔵院伽藍から成る。

白鳳伽藍は金堂、西塔、東塔、大講堂などから成る。

東棟は今解体修理中です(平成31年完成予定)。

裳階(もこし:軒下壁面についた庇状構造物)を施した金堂や塔の佇まいの美しさに「竜宮造り」と呼ばれるそうです。

確かに赤く綺羅びやかで美しいものでした。

金堂には薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)が安置されている。

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横から見ると地震等による転倒防止用の支えがあるので若干微妙なので見ない方がいいでしょう。

金堂にはそれだけしかありませんでした。

次に西塔を見ました。

西塔内では釈迦四相像が公開されてます(2016年6月30日まで)。

HPで見る限り金色で綺羅びやかそうですが、かなり並んでいるし、時間もないので外観だけ見ました。

金堂同様赤色が映えて綺羅びやかで、法隆寺のような地味な佇まいとは違った良さがありました。

次に大講堂ですが、こちらは前にパイプ椅子とかが並べられて何かイベントをする感じで入れそうになかったのでパスしました。

大講堂から右奥側に東僧坊があり、その奥に聚宝館と大宝蔵殿があり、そこで噂の刀展がやってますが、まだ大分並んでいたので、その前に一番奥にある玄奘三蔵院伽藍に行きました。

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玄奘三蔵院伽藍は戦時中に南京で玄奘三蔵の頂骨(頭蓋骨の中央にある左右一対のたいらな四角形の骨)を発見し、玄奘三蔵と薬師寺が深い関係にあることから分骨を拝受して1991年に玄奘三蔵院伽藍として建立されたらしい。

ちょうど5月4日、5日に玄奘三蔵会大祭というイベントが開催されており、夜には画像のような燈籠に火を灯して万燈供養が行われる。

 お釈迦さまは涅槃に入られる前に、嘆き悲しむ弟子達に向かって「自らを燈明とし、法を燈明とせよ」と最後の法を説かれました。燈明は法を求める人によって点ぜられます。

玄奘三蔵は法燈を求め、また自らの燈明をも灯し続けられたのでそれに習って行われている。

万燈供養祭は19時~20時に行われるので、飯を食べてからと思っていたらそのまま忘れてしまいました。

そこを見終わった後、刀展に行きました。

刀展はやたらと混んでいて、中に入ってもなかなか移動しないので、案内係も牛歩のごとく進めとたびたび行っていた。

時間も過ぎていたので早く帰りたかったのだろう。

刀展には虎徹やら和泉守兼定やら加州清光などの新選組隊長が使っていた刀や坂本竜馬が使っていた刀である陸奥守吉行やらがあった。

解説とかを読んでいるせいかほとんど前に進まなかったようだ。

当たり前ですが、刀身しかなく、鍔とか柄とかありません。

興味のない人から見たら、刀による違いが全くわからないのでつまらないと思うのだが・・・

地肌とか反りとか刃紋とかもう少し眺めたかったのだが、後ろからもせっつかれてるしあまり見れなかった。。。

沸(にえ)と匂(におい)が見れるようにルーペ付きでよく見えるようにしてくれてたりしているのだが見てる余裕がないので、できれば空いてるときに行けると良いでしょう。

ちなみに2箇所ほどだけどアニメの刀剣乱舞の影響でそれの解説というか一言書いてあったりしました。

ということで、一応本日の目的は達しました。

あとは奈良のサイカラーメンを食べて大阪に戻りました。