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2015年6月 7日 (日)

堺幕府

幕府といえば、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府といったところですが、実は我が堺にも幕府があったそうです。

幕府は武家政権の政庁のことです。

堺幕府は1527年~1532年の室町時代の末だけど間にある期間です。

応仁の乱以降、京を中心にあちこちで戦乱が勃発しますが、幕府でも管領、細川高国(将軍家は足利義晴)VS細川晴元(将軍家は足利義維)という感じで争ってました。

第12代将軍は足利義晴ですが、大永7年(1527年)の桂川原の戦いで細川高国が破れ、将軍ともども近江(滋賀県)に逃れます。

その結果、勝者の細川晴元が足利義維を擁した形で堺を拠点に京を支配するようになったので、堺公方と呼ばれるようになった。

これが堺幕府。

しかしこの幕府内部で阿波国人衆である三好元長(後に近畿圏で覇を称えた三好長慶の父)等と摂津国人衆である茨木長隆等の権力闘争が勃発し、最終的に摂津国人衆が一向一揆と結託して、三好元長を殺し、堺幕府は崩壊することになった。

ちなみに足利義維は担がれただけの何の印象ない人物でしたが、三好元長が殺された後、殉死しようとしたりするという意外と良いやつでした(結果的に止められたので自殺しませんでしたが)。

この堺幕府論は今谷明氏が、改元(大永→享禄)を無視した文書が存在することに注目して、公文書の発給状況を分析し、当時の室町幕府は崩壊状態にあり堺公方と呼ばれた堺の政権は事実上の堺幕府である、と提唱した。

その今谷明氏の「三好一族」という本を読んで、知りました。

実際には足利義維は征夷大将軍になっていないので、地方政権扱いで残念ながら否定気味のようです。

堺出身者としては非常に興味深い説でした。

2015年2月15日 (日)

運命の子(原題:趙氏孤児(Sacrifice))

Photo

珍しく映画(DVD)を見た。

3年前の中国歴史モノの映画なので、なかなかマニアックな方しか知らないでしょう。

知っていたけど、そのうちヤフオクかなんかで手に入れるかと思って放置していて、たまたま思い出して調べてみると、ヤフオクからなくなっていたので、あれまと探していたら、楽天オークションの方であったので落札してみた。

原題は「趙氏孤児(Sacrifice)」で、邦題がなぜか「運命の子」という。

趙氏孤児といってもパッとしなからでしょう。

「趙氏孤児」自体は中国では元時代に戯曲として、京劇としてもやられているので、知っている人は知っているかもしれない。

ちなみにSacrificeは英語で「いけにえ」「犠牲」という意味です。

パッケージ上、日本語でいろいろ書かれてますが、日本語吹替版はありません。

パケージに書いているストーリーを引用すると、

「古代中国、春秋時代の晋の国。敵対する武官の謀略により、趙氏は一族300人を皆殺しにされる。生まれたばかりの男の赤子だけ、母である妃の機転で難を逃れた。医師に赤子を託し妃は自害。医師は武官から赤子を守ろうと奔走するが、その子の命の引き換えに、彼自身の子を殺されてしまう。さらには愛する妻までも・・・。武官への復讐を誓った医師は孤児を引き取り、武官の門客となった。何も知らない武官は趙氏最後の子を溺愛し、孤児は医師を「父さん」、武官を「父上」と呼び慕うようになる。それが、医師の狙いだった。武官の孤児に対する愛が深くなればなるほど、孤児から受ける復讐のダメージも深くなる。やがて15年の歳月が経ち、二人の「父」に育てられた運命の子が、すべてを知る時がやってくる。」

ちなみに人名は、

医師:程嬰、武官:屠岸賈、妃:荘妃、子:程勃(本名:趙武だけど作品中に名前なし)

こんな感じの復讐モノです。

これは司馬遷「史記」の「趙世家第十三」にあるストーリーを原典としている。

時代的には紀元前597年で、孔子が生まれる50年くらい前です。

史記では程嬰は趙武の父である趙朔の友人と微妙に違うが、だいたいは上のストーリーと同じです。

オリジナルなのは、子(趙武)を仇である屠岸賈にも育てさせるというところと、趙武の代わりに犠牲になった子が程嬰の子であるというところ。

面白い設定ではあるが、あまりに愛情を深くしすぎて子が屠岸賈に対して復讐できなかったらどうすんだろうとか、子が可哀想すぎないかなと思ったりもした。

原典を熟知しており、上のストーリーくらいを知った上で実際に見た。

まず仇である屠岸賈については、なかなか子煩悩であり、なかなか憎めないやつになっている。

序盤で趙氏一族を滅ぼしたところだけが陰湿だ、あとは子煩悩なおやじである。

これに復讐できるのかと思えたが。。。ちょっと無理があったのではないかと思う。

あと、序盤で屠岸賈に顎で使われて、趙武を殺そうとして一時程嬰から趙武を奪うも、バナナ?のようなものを踏んで滑ってしまった挙句、趙武を投げ返してしまうということをやってのけたイケメンの韓厥というのがいる。

復讐に絡むという点では韓厥は間違ってないが、どこかお間抜けさんになっているのがなかなか笑えた。

実際は、韓厥は屠岸賈の野望を察知して、趙朔に亡命を働きかけたり、趙氏滅亡後に趙武を庇護したし、最終的には正卿(宰相)にもなる偉大な人物です。

下手に知っているせいでいろいろと突っ込みどころが多かったのですが、まあハラハラするところもあり、悪くはなかったです。

但し、原典で好きだったシーンが尽くカットされているところが非常に残念でならない。

むしろここのシーンを実写で見たかったから見たのに、ないとはどういうことやねんと憤慨してしまうところです。

中国人的には日頃の恩に報いるべく、命をかけるというところに萌えないのだろうか。

Sacrificeが程嬰の子のことを指しているのかもしれないが、犠牲という意味で自分の命を差し出した公孫杵臼(映画では公孫)が映画では流れ的にそうなっちゃったとしか思えないところがあります。

この「趙氏孤児」を題材とした小説(短編)としては2つあり、私の好きな宮城谷昌光氏「孟夏の太陽」と安西篤子氏「趙氏春秋」がある。

初めて宮城谷氏「孟夏の太陽」で読んだときは衝撃的でした。

間違いなくこっちのほうが感動するので、気になる人が入れば、これを読んでいただきたい。

最後に、マニアックな突っ込みどころとしては馬に乗ること。

春秋時代のときは、まだ直接馬に乗って戦をすることはほとんどない。

基本的には戦車(戦闘用馬車)であり、その周りにいる歩兵が主流です。

騎兵は基本的に蛮族の戦法であり、中国の人からは高貴な中国人がやることではないと嫌われていた。

その意識を改革し、騎兵戦を主流に持ち込んだのが、趙武の子孫である戦国時代の趙の武霊王(始皇帝の100年くらい前の人)です。

なので、当然鐙(あぶみ)もなかったはず。

鐙は紀元前5世紀頃インドでは使われていたようだが、確認できるものの最古のものとしては紀元300年頃の中国の墳墓で発見されている。

朝鮮半島や日本に渡ったのが5世紀頃、ヨーロッパでは7世紀頃までは確認されていないらしい。

2015年1月18日 (日)

帝号、廟号【中国】

中国の皇帝の呼び方としては、「~帝」「~祖」「~宗」と呼ぶのが普通であり、名は諱だから基本的には言わない。

「~帝」「~祖」「~宗」の違いは何か。

「~帝」は帝号といい諡号であり、「~祖」「~宗」は廟号です。

諡号はある人物の子孫がその人物の生前の実績を評価して付けられる諡(贈り名)です。

~のところに評価が入り、その文字はいろいろあり、「文」「武」「成」「康」「霊」「幽」「厲」とかがある。

私の知る限りでは「文」が最高で、「霊」が最悪です。

「武」は領土拡大したりとかで、功績があった場合につけられる。

衛青や霍去病により匈奴を駆逐した前漢の武帝や漢を中興した光武帝、魏の武帝(曹操)などなど。

光武帝の場合は、漢を中興したという評価の「光」もついている。

ちなみに前漢の武帝は「孝武帝」とも言う。

理由は知りませんが、前漢の皇帝は「孝」がつくのだが(漢書)、一般的には略される。

次に、廟号は歴代の先祖の列に並ぶための号です。

王朝の創設者は「太祖」(漢の劉邦だけは高祖)、再興者は「世祖」で、それ以外は「~宗」となる。

隋までは帝号、唐以降は廟号を使うのが通例となった。

但し、秦だけは「始皇帝」「二世皇帝」「三世皇帝」・・・となるはずだった。

唐以降も帝号がなくなったわけではないが、何でもかんでもくっつけた諡号になっており、例えば唐の太宗(李世民)は「文武大聖大広孝皇帝」、北宋の真宗は「應符稽古神功譲徳文明武定章聖元孝皇帝」、清の太祖(ヌルハチ)は「承天広運聖徳神功肇紀立極仁孝睿武端毅欽安弘文定業高皇帝」と馬鹿みたいに長くなる。

最後に「神号」というのもあり、なぜか崇められまくって神になった人の「神号」がある。

関羽以外では知りませんが、関羽は歴代の王朝からどんどん諡号を与えられ、いつのまにか「神」となり、清の時代に「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」という名前が贈られている。

2014年7月20日 (日)

戦国武将の名前

戦国時代の武将のの名前は基本的には素直に読めば良いものが多いですが、たまに現代のキラキラネーム(DQNネーム)ではないですが変な読み方をするものもある。

変ではないですが、今年の大河ドラマの主人公の名前は、

黒田孝高

で、普通に読めば「たかたか」ですが、「よしたか」です。

ちなみによく「黒田官兵衛」と呼ばれますが、「官兵衛」というのは仮名(けみょう)という通称です。

昔の中国でもそうなのですが、実名は諱であり、例えば目上の人を呼び捨てにするようなもので失礼だということで、実名は使わず、その代わりとして、「仮名」とか、中国では「字」が使われた。

仮名にも種類があって、例えば生まれた順で織田信長は「三郎」(次男だけどね)とか、「~左衛門」とか、朝廷から賜る受領名で石田三成の場合は「治部少」とかあります。

まあ、それはともかく名前で特殊な読み方をするものとして、

最上義光(もがみよしあき)

穴山信君(あなやまのぶただ)

明石全登(あかしてるずみorたけのり)

などがあります。

山形県の梟雄である、最上義光にしても最初は読み方がわからなかったので、「よしみつ」「よしてる」と呼ばれていたようですが、後に妹で伊達政宗の母である義姫からの手紙でひらがなで「よしあき」と書かれていたので、確定したそうです。

最近知ったのが穴山信君は「のぶきみ」と思っていたのですが、最近読んだ本(平山優「真田三代」)の中で、近年発見された坊さんが記した法語集にわざわざふりがなで「のぶただ」と書いてあったそうな。

ちなみに穴山信君は穴山梅雪とも言い、武田信玄の御一門衆の筆頭とも言うべき存在で、母が武田信玄の姉で、嫁が武田信玄の娘という人物。

実力はあったようだが、プライドが高く、武田勝頼にいやいや心中した挙句、武田の最後には裏切るような人物で、戦国時代の中では私の嫌いな人物の筆頭にもなりそうな人物です。

もしかしたら今週の大河ドラマで出てくるかもしれませんが、本能寺の変の際には徳川家康と一緒に堺に来ていたのですが、変後に逃げる際に家康とは別行動を取った結果、途中で殺されてしまって、因果応報的なところがある。

そして、宇喜多秀家の家老で関ヶ原の戦いで活躍した明石掃部の名前が明石全登。

読み方がさっぱりわからない武将、よくある読み方が「てるずみ」ですがどうやったらそう読めるのか・・・(すみは辛うじて「澄」から読めそうな気もするが)。

昔と違って読み方とかは何かしら記憶に残っているから違うかもしれないが、後世から見たら、今のDQNネームはどううつるのか(読めるのか?)は気になるところです。

2013年5月 5日 (日)

百済の王~クンチョゴワン

Photo何気にブログ600回目の記事です。

韓国歴史ドラマ「百済の王~クンチョゴワン」全60話をGW中に見ました。

なんだかんだで60時間、よく見たもんです。

まだ韓国歴史ドラマのDVDとして「テ・ジョヨン」「太祖王建(まだ届いてませんが)」を購入してますが、夏以降になりそう。

なにより三国志もあるので、結構時間がかかる。

それはさておき、百済の王は馬韓、伽耶国などを攻略し高句麗に並ぶ強国?にした近肖古王(プヨグ)の物語。

百済の王として、日本、中国の史書に初めて登場する人物らしい。

展開としてはある意味いつもどおりで、王子として登場するも王権争いの結果追放され、復帰するもまたも王権争いでピンチになるも、なんとか敵を退けるという話。

ヒロインは政敵の娘で、恋的も当たり前のように登場する。

もうある意味テンプレになっているような気もするが、まあこうしなけりゃ面白くないのはわかるが・・・。

今回も面白いっちゃ、面白いのですが個人的には主人公が非常に気に入らない。

というのも頑固なくせして優柔不断なところがむかつく。

主人公役のカム・ウソンがどっかで見た話では優柔不断な役柄が多いらしく、今回もそのようだ。

ネタバレを含みますが、そのむかつくところを下記に書きます。

まず、百済という国は、高句麗の建国者である朱蒙の妃であるソソノが高句麗を出て、その第2王子であるオンジョが建国した国である。

ドラマの「朱蒙」では朱蒙とソソノはお互いを尊重しあっているも、その家臣団が対立した結果、ソソノが泣く泣く出て行く羽目になっちゃったという話だったのに、この「百済の王」での朱蒙とソソノはまさにオッサンとオバサンで思いっきり喧嘩別れしている。

それぐらい合わせろよと言いたい。

そしてこの百済の王家は2つ(肖古王系と古尓王系)に分裂し(日本の南北朝でいうところの持明院統と大覚寺統みたいなもの)、いっつも王権争いしている。

プヨグは肖古王系、ヒロインのヨファは古尓王系で父親同士が対立関係にある。

そんな中、恋仲になった二人なのだが、政略結婚によりヨファが高句麗の王に嫁せられることになった。

プヨグはプヨグの母(父の第2王妃)と弟もつれて、駆け落ちしようとするも父に「頼れるのはお前しなかいないんだよ」と懇願され、前言撤回する(その結果、高句麗の王に嫁ぐ)。

で、その後父が毒殺され、プヨグが父王殺しの冤罪を着せられ、遼西に追放、大義という名分のもと、勢力拡大に頑張ります。

そんな弱小勢力の中、高句麗の使者として近く?の敵国趙の都である鄴に来るというので、のこのこと会いに行きます。

その結果、プヨグやその仲間は危険に陥るし、敵の罠にもはまるし、高句麗の王からは不倫だということでヨファが殺されそうになるという。

会いに行った理由が「高句麗の王となったヨファに会えないが、一目見たかった」とかいう。

バレたら、ヨファが高句麗の王に殺されることも承知の上でという凄まじく身勝手なやつ。

大義のため恋人を捨てたくせに未練たらしく会いに行って、恋人を危険な目に合わせるという。

また見事、百済の王になるも父親を殺した政敵を王としての寛容をもって許すも当然の如く隙をついて裏切られ、家族や多くの家臣が殺される羽目になるという。

王として間違っているのでは?と思うところが多くある。

以上が主人公の不愉快なところ。

次に地理的、歴史的な点で怪しいところを。

気になったのは、鄴が遼西と近いこと。

Photo_3遼西は山東半島らしい(右図の黄色い丸)。

鄴は洛陽から少し北に行ったところ(ざっくりですが右図の赤い丸の箇所)
地図でみると、あれですが3,400kmくらいあるんじゃないでしょうか。

それを1日とか数日で移動しているっぽい。

また百済が遼西地方に進出していたのかどうか・・・

一応、中国の史書である「宋書」「梁書」に記載があるらしい。

が、これらの国は南朝(東晋の後の国)での史書であり、北朝の史書には記載がないため、韓国・朝鮮以外の学会では否定的だそうですw

という感じで、こういう歴史的なところもさることながら、ドラマ中で展開する政策や戦術を見ていると突っ込みどころが満載すぎてある意味面白い。

王権争いや政権争いはグダグダで見るに堪えないぐらいですが、最後は丸く収まっていて良いと思います。

面白くなくはないですが、積極的にお勧めしようという作品ではないかなというのが正直な感想です。

2013年1月 4日 (金)

風の国

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帰省してからまだ見てなかった「朱蒙」の前半と「風の国」の後半を見た。

ぶっちゃけ今回の帰省中は、基本的に駅伝を見てたか韓国歴史ドラマを見ていた。

風の国は朱蒙の孫の話。

「朱蒙」でも終盤出てきた息子のユリの三男として生まれるが、親兄弟を殺し、高句麗を滅ぼすという神託を受けて、殺されそうになるも父ユリがこっそり兄のヘミョンに託し、助ける。

成長した主人公ムヒュルが世で出だして、まあ時代が動き出すという形。

「朱蒙」と違って、国としての戦いより個人の戦いが主流。

ヒロインのヨン(敵国扶余の王女さん)は正直全然魅力的ではなく、まだムヒュルの育ての親のヘアプの方が良い(ヒロインという感じではないが)。

神託では父や兄弟を殺すと言っていたが、最終的にはムヒュルのせいとは一概に言えないが、父、兄、弟、恋人、幼馴染の親友が死ぬ。

最終回の1回手前で親友が火あぶりで死ぬところは泣ける展開である(部下の主要メンバで死んだのはこの親友だけ)。

戦での面白さは朱蒙より大きく劣るが、泣けるような展開が多くなかなか面白かった。

朱蒙に続いて見てもらいたい。

最初は悪徳商人かと思っていたマファンがなかなかいいやつなので、そこも良い。

この風の国も吹き替え版で安いやつをヤフオクで購入(朱蒙と同じ価格だった)。

DVD自体は2層だけど1層分しか使われていないので、止まることもないので安心して見れる。

2012年12月22日 (土)

朱蒙(チュモン)

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韓国の歴史ドラマですが、非常に面白かったのでご紹介。

まず朱蒙についてWikipediaより抜粋。

朱蒙は高句麗の初代の指導者で東明聖王(東明王)とも呼ばれる。

朱蒙の母の柳花(ユファ)は、扶余王の金蛙(クムワ)に出会って、なぜか捕らえられてそんな中、日光がユファを身篭らせ、大きな卵を産んだw

クムワは卵を犬や豚のそばに捨てたり、野ばらに捨てても、さらには自分で割ろうとしてもなんともならないので、ユファに卵を返した。ユファが卵を暖めると卵が割れて、朱蒙が誕生。

朱蒙は弓の達人(扶余の言葉で弓の達人という言葉が朱蒙)で将来異心を抱くと扶余国の人々は思っていたが、王が守った。

暗殺の陰謀等あり、ユファが逃亡を促すと、烏伊・摩離・陝父(ヲイ、マレ、センピョ)の3人)と共に逃亡した。

卒本(チョルボン)に逃げて、ここで高句麗を建国(紀元前37年)。

即位直後に濊貊という国に対して略奪や破壊を行い服属させる。

紀元前19年5月に扶余から息子の類利(ユリ)とその母(礼氏)が逃げてきたので、太子として受け入れ、同年9月に40歳で死去。

というのが、伝説。

ドラマでも年月をあまりきにしなければ流れ的には合っている。

韓国では平均視聴率40.98%で、韓国史上歴代4位らしい。

ちなみに「チャングムの誓い」が41.6%で2位。

見たきっかけは帰省したときに親父が見ていて、それを見ていたらハマったという感じ。

基本的な内容は扶余の太子(帯素:テソ)との政争&戦争とか漢との戦争とかソソノとの結ばれない恋とか。

ソソノについては、テソも余計なちょっかい出したり、変な三角(というか四画)関係になったり、こっちの恋愛も要チェック。

戦のシーンがいっぱいあるので、歴史好きはもちろん普通の人も楽しめると思う。

また主人公の朱蒙がまた比較的寡黙な人間で、私はそういう人間が好きだ。

個性的なキャラ(ホモとか)とか朱蒙への心酔具合とかが良い。

兵士少ねえとか服装きらびやかすぎとか結構突っ込みどころ満載だが面白い。

しかし面白いのがいいんだが、いかんせん長い(全81話。1時間あたり70分程度)。

DVDでは1枚あたり2話入っているので、DVD41枚程度となる。

ケーブルテレビとかで見るならいいが、DVD借りて見るには結構な金がかかる(面白くて続きが気になってすぐに借りに行ってましたがね、我が父親は)。

ということで、自分の家に帰って見るためにDVDを買ってみた。

amazonで買うと3,4万するので、そんなものを選択するのは金持ちかヲタクか。

こういうものは安い海外製に限る。

ということで、ヤフオクで5000円程度でゲット(本体3400円+送料1500円くらい)。

当然日本語吹き替え版で、これには23枚組150,200円と書いてあるw

たぶん中国製でDVD(2層)1枚あたり4話入っていて、画質は少し劣るが慣れたらどうということはない。

リージョンコードもフリーなので、日本製のDVDプレーヤー等で見れる。

ただし、少なくともうちのブルーレイプレーヤーでは1層目から2層目に切り替わるところあたりでフリーズすることがよくある(2話目が終わる5分前程度)。

フリーズしてもすっ飛ばして次の回からは正常に見れるので、いうほど話がとんだりしないのでまあ大丈夫。

だいぶ前に一応、最後まで見終わったのだがまだ最初の方は見てなかったりする。

が、最初の方は朱蒙が弱い時期なので積極的に見たいとは思わない(年末に帰省した時に持って帰るのでそのときに見るんだろうなと思ってる)。

ということで、次の「風の国」を見ることにした。

風の国の主人公は朱蒙の孫の話。

ラスボスはテソ。

こっちは朱蒙と少し違って泣けるような展開が多くて、これはこれで面白い。

見終わったら、そのうち書きます。

2012年9月 5日 (水)

姫路城

Img_4149前回、犬山城に行ったことで国宝四城(松本城、犬山城、彦根城、姫路城)を制覇した。

しかし、姫路城は幼い頃に行ったので行った記憶がない(基本的に昔のことは全く覚えていない)。

なので、夏休みで帰省していた機会に行ってみた。

それも平成21年から26年まで改修工事中で、その現場が見れるという非常にレアな期間でもある。

改修工事は漆喰壁と屋根瓦の葺きなおしがメイン。

姫路城はJR姫路駅から歩いて数分。

姫路駅から余裕で見えるので迷うことはない。

で、姫路城を撮った写真が最上部のもの。

工事場&見学施設として天守を覆った建物が出来ている。

天空の白鷺という。

見学するためには事前にWEBで予約する必要がある(2日前より。時間指定)。

http://www.himejijo-syuri.jp/home.html

が、当日行っても入れることは入れる。

予約している人としてない人では受付の場所が違っていて、予約しているとスムーズに入れる。

Img_4176混んでいる場合は予約してないと入れない、または非常に待たされるのではないかと思う(平日に行ったので、全然余裕でしたが)

で、見学できるのは最上部の写真の白くなっている部分である7,8階。

まずは8階までエレベータで行き、階段で7階、そしてまたエレベータで1階へというコース。

エレベータからは一応、他の階層の状態も見ることは出来る。

8階は2枚目の写真のように屋根。

屋根瓦も鯱ももうでてきそうだ。

ここで気づいてしまったのですが、私が行ったのは12時~13時の時間帯。

・・・よくよく考えたらこの時間は昼休み・・・作業している姿が見れないorz

なので、行こうと思う人で作業姿を見たい人はこの時間を避けるべき。

Img_4179
元に戻ると、この8階からは後はモニタで屋根瓦の改修作業のビデオやあとは景色。

天気がいいと四国も見えるとガイドのおじいさんが言っていた。

そして7階に行って、そのときの写真が3枚目。

ちょうど漆喰壁が全部はがされて、小舞(こまい)かきという状態。木舞かきとも言う。

小舞かきとは壁の下地として、縦横に竹や細木で編んで、わら縄で結束したものらしい。

この上に漆喰を塗る。全部で7層くらいになるそうだ。

普通では見れないレアな場面です。

同じように今までの改修作業のビデオが見れる。

あとは1階に模型等があるだけ。

回収作業中の状態を見れるということで非常に貴重な体験ではあるのだが、如何せんやはり作業姿があった方がよかったなあ・・・。

あとはぶらぶら見てました。

あんまり記憶が残っておりませんでしたが、なんか懐かしい気がしました。

こんな改修作業なんてまず見れることなんてないので、行ってみても損はしないと思います(しょせん600円ですし)。

最後に千姫が居たという西の丸の百間廊下に行きました。

名前のとおり長い廊下があり、ところどころに部屋があり、そこに千姫についての解説がありました。

千姫は知っている人は知ってますが、戦国時代には珍しいラブロマンスを果たした人です。

千姫は徳川家康の孫で、徳川秀忠と去年の大河ドラマで一躍有名人になったお江との娘。

7歳で豊臣秀頼(秀吉の嫡子)と政略結婚。

そして1615年の大阪夏の陣で、大阪城は落城してしまい豊臣家が滅びます。

その落城寸前に家康は、千姫を救出したものに彼女を嫁がせるという触れをだし、それに奮い立って坂崎直盛が救出しました。

その後、千姫は江戸へ行くための途中に桑名城に寄った際に本多忠刻(生涯無傷という本多忠勝の孫、実は千姫とはいとこ同士)と出会う。

なんかそこでお互い惚れしまったらしい。

そして江戸に行った千姫は家康に本多忠刻と結婚させてねだり、孫に弱い家康はそれを許したとかなんとか。

せっかく頑張って助けた坂崎直盛はいい面の皮だ(殺されたとかなんとか)。

ということで、ちょっとお勉強になります。

その後は帰宅しました。

時間があれば、最近某ゲームで忠臣蔵に関わっているので赤穂城か、それとも明石城かに行こうかなと思いましたが、思ったより時間を食ったのでやめました。

姫路城も完成したらもう1回行こうかなと思います。

2012年8月24日 (金)

川越

Hi3e0359

先々週土日出勤したため、代休をとれと言われたので、本日とりました。

1日でグータラというのもよかったのですが、たまの3連休だし、でかけてみた。

本日の目的は関東7名城の一つ、川越城。

関東7名城といってもどれも天守なし。

川越には川越城本丸御殿があり、それを目指していくことにした。

他にいく候補地として同じ埼玉で「のぼうの城」で有名になったっぽい忍城も考えた。

が、ちょっと遠そうなので、とりあえず川越城にした。

川越には池袋から東武東上線で40分くらいで行けるので、トータルでも1時間半もかからない程度なので、そんなに遠くはない。

また例のごとく駅から徒歩で適当に向かった。

方角は大きくは間違ってなかったが、ちょっとそれたのでまずは喜多院を目指した。

喜多院と同じ敷地には千波東照宮がある。

東照宮はいっぱいあるが、何気に日光、久能山と並ぶ三大東照宮の一つらしい。

が、日光東照宮に比べると大分しょぼく、赤い東照宮。

あの天海によって、法要が行われ、同じ年に創建されたそうだ。

童謡「あんたがたどこさ」発祥の地と言われる。

本殿のまわりには歴代の川越藩主が献燈した石灯籠が並んでおり、忠臣蔵でおなじみの柳沢吉保の名もありました(こやつ以外は松平だったのでちょっと目立ちました)。

本殿に家康公像があるらしいが、当然のごとく入れず、拝殿しかみれない状態でした。

そのお隣に喜多院がある。

別名川越大師(一番上の写真)。

結構でかい。

天海がここの住職になったりしており、小さいけど慈眼堂に木像が安置されている(当然見れないけど)。

喜多院自体は良源(慈恵大師)が祀られている。

建物のほとんどが重要文化財に指定されているし、結構広くて中にはホタルがいるという池もある(5~7月ぐらいらしい)。

その中に日本三大羅漢の一つ、五百羅漢があるが、見るのにお金がかかりそうなのでいかなかった(日本三大羅漢とは知らなかったし)。

羅漢というのは阿羅漢のことで、仏教における聖者のこと。

その石仏が538体あるというので、それは壮観そうだ。

伝説によると、深夜に羅漢の頭を撫でると一つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ているという。

うちの親生きてるし、そもそも深夜に入れるかどうか不明。

この喜多院を出てまっすぐ北上すると(多少じぐざぐするが)、川越城本丸御殿がある。

その前に進行方向から左(西かな?)にそれて、富士見櫓のほうに行った。

川越城には天守がなかったので、富士見櫓の方で監視とか行っていたという。

今はもうないし、ちょっと小高いところにある。

他の建物とかがなければ確かに見張れるのだと思う。

引返して元の地点に戻り、さらにそのまままっすぐいくと、三芳野神社がある。

ここは童謡「通りゃんせ」の歌詞の発祥の地という。

小さな神社。

Hi3e0371そこの看板に川越城の七不思議が書かれている。

これを読めば、本丸御殿と同じ敷地にある初雁球場とか初雁公園の初雁の意味がわかる。

そしてそこを出ると、目的地の本丸御殿があった(左の画像)。

さあ、いざ行かんと思って行ってみると、休館日と書いてあったorz。

ググってみると、休館日:月曜日、年末年始、第4金曜日←

たいしたことはないと思うんですが、残念でした。

それにしもてよく晴れていたので、光がきつい。

見る分には晴れの方がいいですが、写真撮影は曇りがいいですな。

しょうがないので、次の目的地として北上して東明寺に向かった。

その途中に市役所があり、そこに太田道灌像がある。

何で太田道灌像がこんなところにあるのかというと太田道真、道灌親子が川越城を築城したから(その前から城あったとかなかったかともいうが)。

そして目的の東明寺に何があるか・・・ここは川越夜戦があった場所だ。

Hi3e0378
そのため川越夜戦は東明寺口合戦ともいう。

一応、知らない人のために簡単に川越夜戦を説明。

戦国時代の初期の頃の関東地方は旧勢力である関東管領(公方という権力だけある人の執事)の上杉氏が覇権を握ってました。

この上杉にも山内上杉と扇谷上杉という二派があり、それが互いに争ってました。

そんな中、新興勢力で下克上の申し子的な存在である北条氏が伊豆から相模、武蔵とジョジョに勢力を伸ばしてきました。

所詮名声だけの上杉家なので、新興勢力の北条家2代目でちょっと影が薄いけど実は有能な2代目の氏綱にこてんぱんにやられ、江戸城やら扇谷上杉氏の本拠地の川越城が奪取されます。

その氏綱が死に、3代目の氏康が後を継ぐと、駿河の今川義元が両上杉氏と組んで北条氏を挟み撃ち。

氏康は今川対処に出陣している中、上杉軍8万が川越城を包囲。

そのときに川越城に居たのは北条綱成(氏綱の娘婿)で兵は3千。

8万相手に数ヶ月間持ちこたえるが、兵糧も残りわずかとなる。

氏康は今川と和睦して、8千の兵を連れて救援に向かう。

それでも8万VS1万1千。

これは無理だなと判断した氏康は降服の使者を出すが、今まで散々やられてきた北条家に反発してこれを却下。

さらに下手に出て、酒やらなんやらを送る。

こんな風に油断させといて、城兵とも示し合わせて夜襲を仕掛ける。

このとき綱成は「勝った、勝った」と叫びながら突入し、敵を撃破していったという。

このときの上杉軍の死者は1万数千で、扇谷上杉家の当主が戦死し滅亡、山内上杉家も急速に勢力が衰え、北条家が関東に覇を唱えるきっかけとなった。

これが川越夜戦(小説とか読んで知ったことなので、多少誤りがあるかもしれません)。

写真の石碑の後ろに軽く解説が書いてます。

私は基本的に信長とか秀吉より、北条とか武田とかの方が好きなので、桶狭間より川越夜戦のほうが好きだったりします。

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一応、これで当初の目的地は行ったので、南下して一番街エリアに行った。

ここは昔ながらの建屋が並ぶお店がある通り。

たぶん観光としてきた場合、多くの人が訪れるところ。

実際、他のところは平日ということもあり、あまり人はいなかったけど、ここには修学旅行?か遠足かわかりませんが高校生ぐらいの集団がいたり、家族連れが見られた。

左の写真は指定文化財の「時の鐘」。

今でも1日4回鳴るそうだ。

今から400年前の川越城主酒井忠勝によって創建されたのがはじめで、今は4代目。

ちびっこが夏休みの宿題なのか時の鐘の絵を描いていた。

この近辺に食べ物やがちらほらある。

川越名物はなぜか知りませんが、サツマイモです。

サツマイモ料理が多い。

とりあえず私が見たのは、いもそうめん、いもうどん、いもラーメンなど他にもいも主体の懐石料理とか、いもが多かった。

今は夏なのでいものソフトクリームやカキ氷?もあった。

そんな中で私が狙っていたのは「右門」という店の「いも恋」

さつまいもの上につぶ餡を乗せ、それをもちもちした生地で包んだおまんじゅう。

それも温めてから食べるもの。

時の鐘の隣にもありましたが、それとは別のところにある右門の店の中に入って、食べた。

4時前くらいと凄まじく中途半端な時間なので誰も入ってなかった。

大体の人はおみやげで買っている感じかな。

1個160円とちょっと高いようなきもするけど、おいしかった。

さつまいもと餡があってましたが、それよりも生地が非常においしく感じました。

確かにあったかい方がおいしそうな気がする。

お土産で買おうかなと思ったが、日持ちするのは冷凍だし、冷凍だとなかなか持ち運び難しいなと思い断念。

まあ欲しければ、インターネットでも買えるみたいだから、とりあえず買わなかった。

あとは、そのまま川越駅まで歩いて帰宅した。

今日もなかなか歩いた・・・

2012年8月 4日 (土)

犬山城

Hi3e0333本日最後のお城は国宝犬山城。

現在は江戸時代までに建造された天守が現存しており、国宝指定された4城の一つ。

姫路城、松本城、彦根城、犬山城で、幼い頃に姫路城にいったような気がするので(記憶にない)、一応全部制覇。

一応、そのうち記憶を上書きするために姫路城に行くとしよう。

別名、白帝城という(三国志好きなすぐにわかるはず)。

李白の詩から荻生徂徠が命名したらしい。

信長の叔父さんの織田信康が築城。

犬山は名鉄岐阜駅から名鉄犬山線で30分くらいの犬山遊園駅から徒歩10数分くらいのところ。

木曽川沿いに進むとOK。

山の上にあるが、道沿いに進めばよいので、山道じゃなくてそんなに大変ではない。

途中、三光稲荷神社というのがあり、伏見稲荷神社ほどじゃないけど鳥居がたくさんあり、そ
こを通っていけば犬山城への近道となる。

そして犬山城に到着。

そんなに人は多くなかった。

現存ということもあり、松本城のように階段は急だったし、すべりやすい。

靴は脱ぐので、ついでに靴下も脱いだ方がよさそう(多くの人が靴下まで脱いでた(係員が言ってたけど無視してしまったとかかな?)。

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これもまた天守閣からの眺めがいいです。

とくに木曽川向き。

風もあって涼しい。

ただし手すりが非常に低いので、結構危ない。

高所恐怖症の方にはきついかも。

ここでのんびりするのもよさそうだ。

この木曽川の反対側から写真を撮るとよさそうだが、体力が尽きた(というより足が痛い)ので断念。

これで愛知城廻は終了。

なかなかハードでした。

真夏で日差しも強く、良い感じで焼けました(やけどだな)。

最後は犬山駅から名鉄で名古屋に到着(30分程度)。

つぎは岡崎城とか掛川城、浜松城など三河、遠江の城に行ってみたいもんです。