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2016年7月18日 (月)

晩翠橋

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那須塩原市の観光スポットを見てみると晩翠橋という橋があり、今住んでる家の近所なので行ってきました。

駅挟んで反対側なんで基本的には行かない方向です。

那須IC方面に行く場合に通る橋ですかね、前に仕事で那須ICに行った時に通過したような気もします。

晩翠橋は黒磯と那須を結ぶ架け橋で、アーチ型の白い橋です。

下に流れるのは那珂川で遡上鮎で有名らしい。

実際に釣り人が結構居ました(アユ3匹1000円とか旗が出てたような・・・)。

水面からの高さ約21メートル、長さ約128メートルの美しいバランスドアーチ橋として県下有数の名橋と言われているそうです。

上路ブレースドリブ・バランスドアーチ橋で歴史的にも景観的にも貴重な橋で土木学会推奨土木遺産に指定されていて、全国に2例しかない橋梁形式らしい。

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ブレースドリブアーチ(Braced-rib arch)は三角形を組み合わせたトラス構造のアーチのこと、バランスドアーチ橋(Balanced Arch Bridge)は中間の2支点を中心にバランスをとっている構造のこと。

看板によると「晩翠」の由来は不明らしい。

この橋はすでに5代目(昭和7年)。

クリスマスシーズンにはライトアップされるそうです。

確かに支点のところにライトがありました。

ライトアップされなくても白が映えた綺麗な橋ですが、ライトアップされると良さそうです。

気にしなければ通過するだけで終わってしまいそうですが。

2016年7月17日 (日)

会津若松その4 墓巡り

軽く調べながら書いているので、記事を書くのにやたらと時間がかかってます。

最後に何箇所か墓巡りしたので、それを記載します。

①蒲生氏郷の墓

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蒲生氏郷の墓は会津若松駅から若松城に向かう途中の、バス停で言うところの「神明通り」の近くにある興徳寺にあります。

氏郷公の歌碑もあり、歌は名作・優雅な点などから文学的にもとりわけ高い評価を受けている。

墓である五輪の塔は司馬遼太郎の「街道をゆく」の中で古風で堂々として姿も実により五輪の塔だと絶賛しているとのこと。

遺髪がこの五輪の塔に納められていて、辞世の歌碑「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」がある。

ちなみに蒲生氏郷は織田信長の女婿です。

この興徳寺には土方歳三を参謀とした伝習第一大隊の隊長秋月登之助の墓もある。

合祀されているので若干わかりにくい。

②近藤勇の墓

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飯盛山を出た後(16時前くらい)、ソースカツ丼を食べるため17時まで時間があるので、もともと行く予定だった墓巡りをすることにした。

飯盛山を出てすぐの道(飯盛山通り)を南に下って(若松城方面だから逆走)、1.5kmほどで山(東山か?)がある。

そこに愛宕神社がある。

かなりの石段(数百段)を登る必要があって、結構大変です。

まず人はいない。

この愛宕神社の隣の山道から近藤勇の墓に行けるのだが、大体の人は後述する天寧寺の方からきっと行く。

この愛宕神社前には松平容保公の胸像があり、愛宕神社内には盤山画の「関羽の図」という絵馬があった。

神社内の上に飾られているので発見しにくいし、暗くて見えにくい。

盤山というのは萩原盤山(1772~」1846)という江戸時代の画家のようです。

案内図があるので、近藤勇の墓には迷うことなく行けると思う。

近藤勇は戊辰戦争の折、千葉で力尽きて捉えられて首をはねられて、東京三鷹市の龍源寺に埋葬されたが、首は京都の三条大橋下流にさらされていたところ、何者かが持ち去ってこの地に埋めたそうです。

伝説では土方が斎藤一に近藤の首を取りに行かせて埋めたとか、遺髪だけを埋めたとかと言われているそうです。

近藤勇の墓「貫天院殿純忠誠義大居士」の隣の慰霊碑は「歳進院誠山義豊大居士」ということで土方歳三です(いつのまに土方歳三享年より年上に。。。)。

③和泉守兼定の墓

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先の近藤勇の墓を通りすぎて進むと、天寧寺に着く。

近藤勇の墓も天寧寺に属し、この天寧寺までは車で行けるのでだいたいこちらから行くのが普通(二組ほどすれ違った)。

この天寧寺には萱野権兵衛や郡長正という会津戦争時の会津藩の家老の墓もあるが、そちらは興味が無いのでスルーして天寧寺の麓にある刀匠和泉守兼定の墓に詣でました。

階段を登って左手側の奥の方にあります。

和泉守兼定は土方歳三の愛刀で知られてます。

刀剣乱舞で知っているオタクな女性なら知ってるかも。

④斎藤一の墓

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ソースカツ丼を食べた後、最後に斎藤一の墓を目指しました。

18時前だったし、この季節まだ暗くなる前だから大丈夫かもと思い、向かいました(一応行こうと思っていた場所です)。

また只見線の七日町駅に近い阿弥陀寺にあるので帰る際にも便利です。

とん亭から若松城へと繋がる道を西にずっと突き当りまで進んでいって、そこを右に(北に)本町通り沿いにまた突き当りまで進んでいきます。

その本町通りの途中で会津若松観光マップ上にただ「伊達政宗」と書いてある箇所があるので、なんだろうと思ってついでに見てみようと思いました。

実際あったのは看板でそこには伊達政宗が母親に毒殺されかかった場所であることが書かれてました。

政宗が秀吉から小田原征伐に参陣しろと催促を受けていた頃に、母に招かれて夕食をともにしたところ、激しい腹痛を起こして、危うく一命をとりとめました。

母は政宗の弟の小次郎を伊達家の跡目にしたかったので毒殺を図った。

その結果、小次郎は手打ちにされ、母は実家の最上家に引き取られた。

そんな場所でした。

さて、その本町通りを突き当たって左手に進むと線路があり、その手前に阿弥陀寺がありました。

新選組三番隊隊長斎藤一は、戊辰戦争時には負傷した土方歳三に代わって新選組隊長として戦った。

西軍が若松城城下に迫った時には「会津公(松平容保)あっての新選組、会津を見捨てることはできない」と会津に残って、仙台へ向かった土方と別れた。

会津藩降伏後は、いろいろあって斗南藩(青森県の方)で藤田五郎と改名し、上京し警視庁に入った(この辺はるろうに剣心のとおりか)。

そのときに松平容保の媒酌で会津藩士高木小十郎の妹時尾と結婚したとのこと。

ちなみにこの高木時尾は八重の幼なじみで、斎藤一と一緒の墓に眠っているそうです。

以上で会津若松の旅も終わり。

昼飯を食べなかったので夕食を食べる前の5時間ほどはずっと歩きぱなしで20kmくらいはあるいたのかなあ、よくもまあ歩きました。

会津若松その3 飯盛山&さざえ堂

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飯盛山(いいもりやま)は若松城から途中寄り道しましたが、30分くらいで着きました。

ちなみに南アルプスに飯盛山(めしもりやま)っていうのがあり、大阪の生駒山地にも飯盛山(いいもりやま)がある。

大阪の飯盛山城は三好長慶の居城であったところでもあり、山頂には楠木正行(正成の子)の銅像がある。

飯盛山は白虎隊自刃の地として知られていて、そのせいなのか若松城なみに人が多かった。

若松城に比べると年齢層は若かったような気がします。

会津若松駅を出てまっすぐ2kmくらい進むと行くので、駅からはこっちの方が近い。

戊辰戦争というか会津戦争についてはあまり知識がありませんが、会津戦争時に会津藩が組織した部隊の1つが白虎隊で16才~17才の武家男子で構成されている。

その他に名前から当然ですが玄武隊(50~56才)、青龍隊(36~49才)、朱雀隊(18~35才)があり、それ以外にも年少隊(14~15才)、娘子隊(薙刀もった武士娘)などなどいっぱいある。

白虎隊は会津戦争ではあくまでも支援だけだったが、戦況が厳しくなると前線に投入され、各拠点の防衛につき、20名(総勢で340名程度)が飯盛山に撤退。

飯盛山から眺めた戦闘による市中火災の模様を見て結果20名が自刃を決行した(一人飯沼貞吉だけ喉をついたけど一命をとりとめて生き残った)。

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画像はその飯盛山の登り口でおみやげ屋さんがあり、新選組の陣羽織とかも売られている。

また出店としてはソース串かつとか、あわまんじゅうやちゃまんじゅう等が売っている。

あわまんじゅうは販売カウンターの横で蒸されてます。

画像があわまんじゅう。

粟まんじゅうの由来は「今からおよそ170年前、日本三大虚空蔵尊の一つ福満虚空蔵尊のその界わいが大火災にあって、当時の喝巌和尚が2度と災難に「アワ」ないようにとの饅頭をつくり信者一般に御護符として配ったものが以来、柳津の名物となった」と言われています。

で、その登り口からスロープコンベアがあり、それに乗るとすぐに白虎隊の霊場があります。

が、スロープコンベアは有料で、気付かずに乗ろうとすると切符を買ってくださいと怒られます。

そのとなりに階段もありますが、ちょっと急なのでどちらかという下る際に利用する。

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なので、普通?はそこから左に逸れて、白虎隊記念館のある道を通り、そこから緩い坂を登ってさざえ堂経由で行くのが基本ぽいです。

白虎隊記念館は資料1万2千点が展示されてます。

あまり広くないので、ほんと所狭しと並べられてます。

白虎隊だけでなく会津戦争に関わった会津軍(新島八重とかも含む)や新選組、敵方の板垣退助とか山県有朋などそっちに関する資料も展示されている。

おじいさんじゃない35才くらいの板垣退助の写真もありました。

自刃した白虎隊の短刀や近藤勇の鉢がね、白虎隊自刃の図(佐野石峰筆)などなど。

しょこたんが来たということでそのときの写真もありました。

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入場料は400円。

そこを過ぎて登ると巌島神社(厳島神社ではない)がある。

弁天様として親しまれていることから、飯盛山を弁天山とも言うそうです。

厳島神社の左手側には戸ノ口堰洞穴という洞穴があり、これは会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴で、戊辰戦争のとき白虎隊が若松城の様子を確認するため飯盛山に向かう際にこの洞穴をくぐったそうです。

そこを少し登ると、さざえ堂があります。

正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」と言うらしい。

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その形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

想像しにくいですが、うまく螺旋構造を組み合わせて設計されているみたいです。

私の好きな推理漫画「Q.E.D.」のクラインの塔という話で、このさざえ堂をモデルにした建築物が出てきたのでなんとなく覚えてました。

中はやたらと御札が貼られてます。

千社札と言って、神社や仏閣に参拝を行った記念として貼る物で、自分の名前や住所を書き込んだ札らしい。

だいたい1分位で1週回れます。

拝観料は400円。

思ったよりお高いですが、来た際には一度入ってみるといいでしょう。

狭いですが。

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そこから進んでいくと先のスロープコンベアに合流し、白虎隊霊場に辿り着きます。

その左手側に白虎隊十九士の墓があります(左の画像)。

線香は霊場のところにセルフサービスで売ってます。

残りの一士の墓もありますが、自刃の地との間のところに1つぽっつりと建ってます。

その他に霊場には、白虎隊を讃えたローマ市民からとして、ムッソリーニ(ファシスタ党の)から古代円柱に青銅の鷲の像の碑があったり、同様にドイツからの記念碑なんかもある。

霊場から右に行くと、途中に飯沼貞吉の墓があり、そこを通り過ぎると白虎隊自刃の場がある。

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ここには大分人が集まってました。

ここで白虎隊は自刃した訳ですが、戊辰戦争後も会津藩は朝敵なので白虎隊の遺体はそのまま放置しておくようにと明治政府は命じたそうで(埋葬禁止令)、その結果遺品は盗賊に剥ぎ取られるわ、遺体は動物に食われるわと悲惨な状態になったそうだ。

それを不憫に思った当時の山主飯盛正信がこっそり骨を拾ったり、今の墓前広場の一角に仮埋葬したらしいが、バレてしまい、掘り起こされて元の場所に投げ捨てられたとのこと。

武士道精神はどこにいったのやら。

飯盛正信たちも処罰を受けて、許されたときにもやつれきってしまったとか。

ちなみにここから鶴ケ城は見えますが、かなり小さくて言われないとわからないくらいのサイズでした。

会津若松その2 ソースカツ丼

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会津若松の地元グルメとしてググってると、味噌田楽、輪箱飯、馬刺し、めっぱめしなるものが色々出てきますが、そんな中B級グルメとしては、ソースかつ丼、会津ラーメン(喜多方ラーメンと一緒か?)、カレー焼きそばなるものがある。

そんな中、やはり食っとくべきはソースかつ丼でしょう。

伝統会津ソースカツ丼の会なるものまであり、CDまで出してると言う気合の入れようです。

会津若松にはソースかつ丼のメニューがある店が多いですが、各店でいろいろと違う特色があるみたいです。

そこで最初に行こうと思ったのが、白孔雀食堂です。

丼鉢からはみ出るくらいのカツが特色でやたらと美味しそうでした。

この白孔雀食堂が若松城から飯盛山へ行く途中にあるので、若松城の次に飯盛山へ行こうと思いました。

ちなみに会津若松駅に着いたのが12時前で、若松城を出たのが14時過ぎなので14時半くらいには白孔雀食堂には着きました。

だいたいどの店もお昼は15時位までやってるっぽいので大丈夫(行列もなくなってるだろう)と思って訪れたところ、「品切れのため本日の営業は終了しました」という張り紙が。。。

確かによく調べてみると15時とか16時まで(但し、品切れになると閉店)と書いてあった。

ちなみに白孔雀食堂は一見すると店がわかりにくい、普通に古い食堂ッて感じの店でした。

がっくりきつつ、だいたいの店は15時で閉まる(というかラストオーダーは14時半くらいか)ことを考えると、もう昼飯は諦めました。

ということで夕食の17時に行こうということで、先に飯盛山に行ったり、その他墓巡りをしました(後述)。

で、今回選んだソースかつ丼の店が「とん亭」です。

とん亭は若松城から会津武家屋敷に行く途中にあります。

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17時ちょっと前に着きましたが、入れてもらえました。

かつ丼というよりカツ重です。

普通のソースカツ重で1080円、上ソースカツ重で1180円、こだわりソースカツ重で1380円とかでした。

八重うまっソースかつ丼なるものもあり、これは桜肉つまり馬肉のカツ重です。

が、今回頼んだのは期間限定の会津極上ソースカツ重1500円を頼みました。

豚肉は福島県産ブランド豚のエゴマ豚です。

これは正直滅茶苦茶美味かった。

うまいと笑いが思わず出てしまう(銀の匙でもやってましたが)。

さすがに声を出しませんが、ニヤけていたような気がします。

どこかで食べたソースカツ丼はトンカツにソースがかかってるような感じであまりおいしくなかったですが、このソースカツ丼はソースというかソースのたれにトンカツをしっかり漬けて味を着けている感じがしました。

ちょっと甘めのタレでご飯と一緒に食べるとよく合いました。

肉厚だし、結構ボリュームはありましたが簡単にペロリと食えました。

これはお勧めできるくらいに当たりです。

近所にあれば、ご褒美とか月1くらいでは行きたい感じですね。

非常に満足しました。

できればまた来たいところですが、他の店も気になるところです。

ちなみに隣の隣に一風亭という店があり、ここもソースカツ丼で有名でここにはラーメン(会津?)やらカレー焼きそばとB級グルメが揃ってます。

ラーメンとソースカツ丼のセットもあるので、両名物を食べれてお得かもしれません。

会津若松その1 若松城後編

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干飯櫓を出ると石垣の上なので、そこから降りて南走長屋の下に鉄門(くろがねもん)があり、そこがだいたい撮影スポットになっているようです。

よくある写真がここから撮った画像。

干飯櫓から出てすぐのところも撮影スポットではあるものの、若干木が邪魔でした(前編最後から2番めの写真)。

前編の最後に載せた写真に鉄門の下から撮った写真を載せてます。

鉄門を入って左側(マップでいうところの帯郭)に「上杉謙信公仮廟所跡」がありました。

全部読む前に上杉謙信は会津来てないはずだが・・・と思いましたが、これは上杉謙信は甲冑姿で瓶(かめ)に納められたと伝えられて、会津移封に伴い仮に安置されたようです。

上杉景勝が米沢移封になったあとはそっちに移動したようです。

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で、城のあとはその向かいにある茶室「麟閣」に向かいました。

麟閣は千利休の子の千少庵(女婿)のために蒲生氏郷が造った茶室です。

蒲生氏郷は利休七哲の一人で、千利休が豊臣秀吉により切腹させられた後、氏郷が少庵を会津に匿い、徳川家康とともに秀吉に対して「千家再興」を願い出た結果、許されて、千家茶道は少庵の子の宗旦に引き継がれ、その孫により武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興されて、現在に至るとのこと。

そのことからか蒲生氏郷は利休七哲の第一に上げられている。

戊辰戦争後も大切に保存されてきて、平成2年に元の場所へ移築復元したものだそうです。

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屋根付きで座れるバス停みたいな感じで、茶室に入るまでに待つ場所である「腰掛待合」、高さがやたらと低い「中門」、待ってる間他の客としゃべるスペースである「寄付」などがある。

喫茶することも可能だが、当然この茶室ではないところ(受付の横)で喫茶出来る(600円)。

目の前で点ててくれるわけではなく、事前につくって冷やされたものらしいので、侘び寂びもあったもんじゃない。

喫茶する趣味はないので、私はスルーしました。

その茶室の城壁側には「荒城の月碑」がある。

荒城の月は土井晩翠が作詞したものだが、鶴ケ城と青葉城(仙台城のこと)をモチーフにしたらしいので、ここに碑があるみたい。

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碑には荒城の月の第1番~4番までが土井晩翠の直筆で書かれている。

ちなみに茶室もそうですが、一般客は城とおみやげ屋以外にはほとんど寄り付かないみたいです。

私は石垣の上に登って一通りぐるっと周ってきました。

茶室のそばにある茶壺櫓、武器収蔵スペースだけど櫓にかかる月が一際美しかったという月見櫓(解説の中の中国語のところでは望月楼と書かれてる。月見じゃわからんのか?)などがありました。

内堀の石垣は広さもそうですが、結構高い(20mくらいあるとか)。

赤い橋の廊下橋側から見ると、その高さがわかる。

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その廊下橋から城を出て福島県立博物館の方へ向かうと、新島八重の像や司馬遼太郎文学碑などがある。

この辺りかどうかわかりませんが、新島八重が雑穀蔵に和歌を刻んだとか。

「月が物凄いように輝いていた」と回想していたくらいだから、ここから月見櫓沿いに眺めていたのかもしれない。

この後は飯盛山まで北に4kmほど歩いて移動しました。

効率よく行くなら、そのまま東に行った会津武家屋敷に行ってみるのがいいかもしれません。

会津若松その1 若松城前編

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那須の長期出張もあと2週間程度で、天気予報では曇りと微妙だったのですが、出かけるチャンスもあまりないということで思い切って会津若松に行ってきました。

意外と晴れて良かったです。

会津若松へは那須からだと、黒磯駅から東北本線で郡山駅へ行き、磐越西線に乗り換えて会津若松駅まで行きます。

どちらもだいたい1時間程度(磐越西線の方は快速で)で、1時間に1本くらいしかないので、乗り換えが悪いと待ち合わせで数十分なので、だいたい2~3時間かかります。

東京からだと新幹線で郡山駅まで行くことになります。

まずは若松城へ向かいました。

若松城へは会津若松駅で只見線に乗り換えて2駅の西若松駅からの方が近いですが、乗り換えの間隔が合えばそちらでよいかもしれません(只見線は1時間に1~3本ほど走っているのでまだ乗り換えやすいかも?)。

もしくは周回バスがあるのでそちらに乗るといいでしょう。

特に後で書く飯盛山等に行くなら1dayパスなりお得なものを買った方がいいかもしれません。

私も当初はそうするつもりでしたが、どうせバスの本数少ないだろうなということで辞めました。

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歩いて行く場合は会津若松駅から南に1.8kmほど歩いて、そこから東に0.3kmほど歩いたところにあります。

途中に興徳寺(蒲生氏郷の墓(後述))や山鹿素行生誕地などがあります。

東に曲がらず、真っ直ぐ行くと大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重生誕の地があります。

新島八重(兄の山本覚馬もですが)生誕の地は完全に民家にあります(石碑が民家の玄関にある)。

たぶん普通のルート?で、追手門の方から北出丸の方面経由で若松城に入りました(追手門の前に売店等があります)。

そこから椿坂を登って太鼓門を通って行きました。

太鼓門のところの石垣には遊女石というひときわ大きな石があります。

大きな石であるため、石を運ぶ際にその上に遊女を乗せて運び人を奮起させて運ばせたことから遊女石という名が着いたようです。

こういう石垣に嵌めこまれたデカイ石として上田城の真田石があり、そういうので一番でかいのは大阪城にあるとか(蛸石とか?)。

以上のことは案内板とかにもなんにも書いておらず、たまたまツアーの団体さんのガイドさんが解説しているのを立ち聞きしました。

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その太鼓門を過ぎたところから見える若松城が左の画像です。

五層五階建てで、かなりでかい天守です。

間近でみると迫力満点です。

若松城は地元では鶴ケ城と呼ばれていて、一般的には会津若松城、史跡としては若松城跡で指定されている。

もともと若松城は、蘆名家の時代は黒川城と呼ばれていて(当然天守とかはない)、その蘆名家が伊達政宗に敗れた後はすぐに豊臣秀吉の奥州仕置によって会津は没収され、蒲生氏郷が最終的には92万石の大名として会津に封じられます。

その蒲生氏郷が築いたのがこの若松城になります(もともとは7層の予定だったらしいが)。

この若松という地名も、蒲生氏郷の出身地である近江日野城の近くにある「若松の森」に由来するし、「松」もこの松も会津に来る前に居た「松坂」に由来するとも言われている。

ちなみに松坂も、もともとは松ヶ島というところに城があったものの氏郷が不便だということで別のところに城&城下町を築き、そこを松坂という名をつけたところに由来する。

地元民や蒲生氏郷好き以外はあんまり知らないことだろうけど、氏郷はかなり有能で現代にかなり影響を及ぼしている人物です。

また別名の鶴ケ城は氏郷の幼名の「鶴千代」や家紋の舞鶴に由来する。

あと伝統工芸品に会津漆器があるが、これも氏郷が会津に移った際に日野とか松坂にいた漆器職人が氏郷をしたって付いて来て定着した工芸品だったりします。

その後蒲生氏郷が若くして死んだりその子が若いということもあって、次に来たのが上杉景勝(&直江兼続)で、関ヶ原の前哨戦として家康が上杉征伐に乗り出したところでもあって有名です。

このときに若松城に代わり、その規模を超える神指城という城を築こうとしたが、思ったより早く開戦し、関ヶ原も一瞬で終わっちゃったので陽の目を観ることがありませんでした。

その神指城跡も行こうかなと思いましたが、時間がなく断念しました。

上杉の後は氏郷の子の蒲生秀行が入ったが、秀行もその子も夭折したので、その代わりに賤ヶ岳七本槍の一人である加藤嘉明が入りました。

その頃に会津地震が起きて、天守も崩壊し、その後五層建てとして再建築されたのが今の若松城の原型?

その加藤家が改易となった後は、徳川家光の弟の保科正之が入封し、明治維新の会津松平家へと続きました。

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さて、先の太鼓門側から左手側に向かって武者走りをすぎたところに天守への入り口があります。

その入口側から撮った写真が左の画像。

さすがに知名度がそこそこ高いのか人が並ぶほどではありませんが、居ました。

入場料は茶室麟閣と合わせて510円です。

若松城は外観だけの復元天守なので中は鉄筋コンクリートで展示品や企画展(歴代城主について)だけなので、展望台からの眺めを楽しみたい人以外は入ってもしょうがないかも。

Photo

企画展の展示品はだいたい見たことがあるようなものばかりでしたが、唯一見たことがなかったのが「泰西王侯騎馬図屏風」です(左の画像)。

日本人絵師がイエズス会のセミナリオ指導のもと西洋風に描いた作品とのこと。

止まっている静図(画像)のものと剣を構えて戦おうとする動図がある。

展示されているのは複製品らしいですが、でかいし意外性があって迫力ありました。

背景の金箔、墨絵による下図、彩色の岩絵の具が使用されていて日本画ぽいところもあり、和洋折衷な作品で、じっくり見てみるといいかなと思います。

キリシタン大名であった蒲生氏郷に対して、イエズス会がキリスト教禁止策の緩和や南蛮貿易の後押しを願うために送られたものと考えられているようです。

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五層目の展望層からの眺めが左の画像。

下に見えているのが麟閣です。

どこでもそうですが、天守閣あたりは風がそこそこ強くて心地よいです。

そして天守を降りると、南走長屋があり、そこを過ぎると干飯櫓(文字通り食料庫)でそこがお土産屋になっている。

若松城のオリジナルの製品を始め、会津若松のお土産品、白虎隊ものとか書籍が売ってました。

私は歴史オタで蒲生氏郷ファンなので、蒲生氏郷と会津若松市史(蘆名家について)を購入しました。

とりあえず長くなったので若松城前編は写真を何枚か貼って終わりにします。

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2016年7月11日 (月)

第2次糖質制限ダイエット1ヶ月目

再度糖質制限ダイエットを初めて1ヶ月目。

といっても長期出張で家を空けているため、体重は計れないし、エアロバイクできないし、代わりにジョギングしようかと思ったら雨でできないし(1回だけ走りましたがバテました)、ということで先月は食事制限のみでした(筋トレはしている)。

成果は-1.7kgで、68.0kgまで減りました。

思ったより減りました。

問題は多少なりとも間食・・・といってもあまり糖質がないチョコレート(甘くないやつ)を食べているのですが、最近は大袋のやつを買ってしまったため、思ったより食べ過ぎていることが判明した。

だいたい糖質20g以内にしているつもりがオーバーしているっぽい。

そのため、ちょっと高いけど少なめで制限できそうなものにします。

これで出張期間残り1ヶ月弱でどう変わるか楽しみにしたいと思います。

2016年7月10日 (日)

回顧の滝(みかえりのたき)

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あともう一つ、もみじ大吊橋のバス停から徒歩数分で行ける回顧の滝(みかえりのたきと読む)に行ってきました。

もみじ大吊橋の次のバス停に回顧の滝があるが、歩いても大したことはない。

回顧の滝は尾崎紅葉の金色夜叉でも紹介されている塩原を代表する滝らしいです。

景色が美しく、「去る旅人が振り返らずにいられない」と言われたことから、この名が付いたそうです。

まずもみじ大吊橋から歩いて行って回顧の滝のバス停付近に行くと「蟇石(がまいし)園地」というところに辿り着きます。

蟇石園地から遊歩道(塩原渓谷歩道)があって、そこからまず回顧の吊橋へ向かいます。

回顧の吊橋に行くには二つのコース(と言っても200mもない距離)があり、坂が急なコースと緩やかなコースがある。

緩やかが普通の坂(階段)で、急なほうはちょっときつ目です。

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とりあえず私は急な方から行きました。

そうすると途中で合流し、そのすぐのところに吊橋があります。

ちなみにもみじ大吊橋の入り口から右手方向を見ると吊橋が見えますが、その吊橋が回顧の吊橋のようです(逆に回顧の吊橋からもみじ大吊橋が見えました)。

回顧の吊橋の解説によると、吊橋は主索と呼ばれるケーブルで支えられていて、体重55kgの大人が360人乗っても耐えれるそうです。

また横風を防ぐための耐風索もあり、風速55mまで耐えれるとか。

実際に渡ってみると多少揺れる程度ですが、他の人が渡っている時に渡ろうとすると結構揺れてます。

一人の時にはあまり感じませんでしたが、意外と揺れてるみたいです。

全長100mとありますが、もっと短く感じました。

渡ってすぐのところに分岐点があり、左側に行くと留春の滝(2.8km)、右側に行くと回顧の滝の展望台があります。

ということで右側に10mいくと展望台から回顧の滝を眺めることができます。

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展望台から滝までは結構離れてますので、大分小さく感じました。

よくよく考えたら今年は水不足っぽいし、そのため流量が少ないかもしれません。

季節的なものもあるし・・・微妙なときに来てしまったのかもしれない。

本来なら梅雨の時期(後半)だし、もっと流量があってもよさそうなのに・・・ちょっと残念でした。

で、滝を堪能したあと元に戻り、先ほどの分岐点でもう一方の留春の滝を目指すかどうか悩みました。

結局行きませんでしたが、行かなかった理由としては留春の滝まで山道で2.8kmほどあり、行くような格好ではなかったことと、前日に軽く雨が振ったため道がぬかるんでいたことです。

ちなみに今日は那須から横浜に戻る予定だったので、パソコンとかいろいろ持ってました。

いつもの渡しならそんなこと構わず行くところですが、さすがにぬかるんでる道を行くのは危険だなあと思いました。

この塩原温泉郷はその他にも結構滝とか観賞するところが多いので、温泉で宿泊するついでにハイキングがてら観光してみるといいかもしれません。

もしくはところどころ駐車場があるので、車で見て回るのがいいかも(というかそれが普通か)。

もみじ大吊橋&スープ入り焼きそば

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那須塩原のご当地グルメとして「スープ入り焼きそば」なるものがあるみたいなので、それを食べに塩原温泉郷に向かった。

塩原温泉郷にはJRの那須塩原駅かその隣の西那須野駅からバスで行ける。

黒磯駅からも温泉行きのバスもあるが、これは板室温泉とまた別の温泉です。

温泉行ってのんびりするなら終点の塩原温泉ターミナルまで行けばいいですが、私は温泉までは入るつもりはなかったので軽く観光もできるところということで、もみじ大吊橋に行ってきました。

もみじ大吊橋までは西那須野駅からバスで25分くらい(那須塩原駅からだと50分くらい)です。

運賃は検索しても出てきませんでしたが、西那須野駅からは760円、那須塩原駅からは950円とそれなりのお値段です。

基本的に皆さん車で行くのかバスに乗る人は皆無です(1時間に1本しかありませんし)。

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もみじ大吊橋のバス停からもみじ大吊橋へはちょっと降ったところにあります。

もみじ大吊橋は塩原渓谷にかかる全長320mで無補剛桁歩道吊橋としては本州一だそうです。

通常の吊橋は吊橋に架かる荷重を支えるための補剛桁などを設けている。

補剛桁がそれだけじゃなんのことかよくわからないので調べてみると、明石海峡大橋の画像で言うところの赤枠の部分の四角形に1つの対角線を引いたような、三角形を組み合わせたような桁のことを言うそうです(構造学的にはトラスというのでトラス橋というらしい)。

もみじ大吊橋ではワイヤーロープを横に張ることにより吊橋の強度を高める構造になっている歩行者用の吊橋だそうです。

利用時間帯は8:30~18:00(11/1~3/31は16:00まで)で、渡橋料で300円かかります。

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ということで渡ってみました。

高さはそれほど高くありませんが、結構揺れます。

ちょっと強めの風が吹いても揺れますし、私が渡っているときはちびっ子が体全身を使ってゆらしてくれた(それも縦ではなく横に)ので、結構揺れました。

まあ、それでもこれくらいなら適度に揺れる程度で問題ない程度でした(私は乗り物酔いし易い人間で平気なので体外の人は大丈夫なはず)。

画像の下に見えるのは塩原ダムです。

渓谷の中のダム湖が映えて、なかなか景色は綺麗でした。

が、橋の名前の通り秋とかに来たほうが紅葉が綺麗そうなので、秋に来た方が良いでしょう。

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ちなみに対岸に渡っても特に何もありまえん。

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対岸から吊橋を見た方が見た目はいいかなという感じです。

あえて言うなら、もみじ大吊橋は「恋人の聖地」として選定されているようで、対岸の広場に恋人の聖地シンボルモニュメントとしてオスとメスのクマタカの像が設置されています。

恋人の聖地プロジェクトなるものがNPO法人地域活性化支援センターにより2006年から始まり、全国の観光地の中からプロポーズにふさわしいロマンティックなスポットを「恋人の聖地」として選定しているそうです。

確かにカップルらしきものが何組か居ましたが。。。。

で、写真を取りながらブラブラした後、吊橋を渡って戻り、目的のスープ入り焼きそばを食べに行きました。

そこはもみじ大吊橋に隣接している「森林の駅レストラン」で売っています。

11時半くらいに行きましたが、客は全然居なかった。

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ということでさっそく注文しました。

そんなに時間はかかりません。

スープ入り焼きそばは炒めたてのソース焼きそばをどんぶりに入れ、しょうゆ味のスープを注ぐだけという至ってシンプルなもの。

見た目的にはキャベツとか焼きそばの具材が乗ったラーメンですが、食べてみると確かに焼きそばです。

ソース味が濃くなりそうなもんですが、全然濃くなく思ったよりかは美味しかった。

確かにスープもソースを醤油ベースのだしで薄めた感じはしましたが、違和感は特になく、普通に飲める。

いいバランスで調整しているんでしょうねえ。

なかなかレアなものを食べました。

塩原温泉郷まで行かなきゃ食べれないのが厄介なところですが、行った時には是非食べてみるといいと思います。

そんなに難しいもんでもないですし、東京とかで1店くらい出せば、普通にレア性があって流行りそうなもんですがねえ。

と思ってググってみると、都立大学駅の近くの「麺家 八の坊」というところで食べれるみたいです。

気が向いたら行ってみよ。。。

2016年7月 9日 (土)

プリンキピア

ブルーバックスの「プリンキピアを読む」という本を読んだ。

プリンキピアはアイザック・ニュートンの著作で日本語で言うと「自然哲学の数学的諸原理」と言い、ニュートン力学について述べた書物です。

プリンキピアという名は高校1年の物理の授業のときに物理の先生がくどいほど言っていたのでよく覚えていた。

その物理の先生が変なのでほとんどの生徒が授業を聞かず、テストの平均点が低すぎて名前書いただけでも点数を与えるという暴挙に出るほどのものでよく覚えてます。

ニュートン力学における質点の運動の3法則が以下になる。

①質点に力が働かないかぎり、静止または等速直線運動をするという「慣性の法則」

②質点の加速度aは質点に働く力Fに比例し、質点の質量に反比例するという「ニュートンの運動方程式F=ma」

③2つの質点に間に相互に力を作用しあってる場合、その質点に働く力の大きさは同じで、向きは逆向きという「作用・反作用の法則」

です。

どうでもいいですが、「かんせいの◯◯◯く」の◯◯◯に何が入るかという質問をした場合、理系は慣性の法則、文系は寛政の改革と答えるとかなんとかというネタがある。

プリンキピアではこの法則を元に2点間の運動等を論じている。

このニュートン力学を元にして、ケプラーの法則を検証してみると力が距離の逆二乗則に従うとうまくいくことが判明し、そこから万有引力の法則を導き出している。

ケプラーの法則は惑星の運動に関する法則で、以下の3つです。

①惑星は太陽を焦点の1つとする楕円軌道を描く。

②惑星と太陽を結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定(面積速度一定の法則)。

③惑星の公転周期の2乗は軌道の長半径の3乗に比例する。

通常、大学ではF=maを惑星と太陽の距離xで書いた微分方程式を解いて、それを証明しているのだが、プリンキピアではそうではなく、実は幾何学で解いている。

それも一部無限小とする極限(円において無限小の円弧と二等辺三角形の底辺の長さは同じ)を使用するものの、後は補助線を引いたりして相似関係を使うだけなので、ある意味中学生でも理解できる。

ニュートンは微積分学を築いた人物の一人だというなのになぜか使わない(一部分だけ使った箇所があるが)のがちょっと不思議です。

私は本を読んだだけでだいたいでなるほどねえと思いながら理解しましたが、実際に紙と鉛筆で書きながらやったらなお納得できるでしょう。

惑星の軌道問題の他にもプリンキピアには流体力学(空気抵抗ありの場合の運動とか)や波動に関することなど書いてる内容は多岐に渡っており、読んだ本は基本的に惑星問題がメインなので大分端折りながら書いているものの、1冊の本でこれだけの内容を書きまくっているのがニュートン凄いなあと思った次第です。

プリンキピア(の訳本)自体を読むのは大変そうですが、どんなもんかを知る分にはいい本だったと思います。