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2016年7月17日 (日)

会津若松その4 墓巡り

軽く調べながら書いているので、記事を書くのにやたらと時間がかかってます。

最後に何箇所か墓巡りしたので、それを記載します。

①蒲生氏郷の墓

P1010483

蒲生氏郷の墓は会津若松駅から若松城に向かう途中の、バス停で言うところの「神明通り」の近くにある興徳寺にあります。

氏郷公の歌碑もあり、歌は名作・優雅な点などから文学的にもとりわけ高い評価を受けている。

墓である五輪の塔は司馬遼太郎の「街道をゆく」の中で古風で堂々として姿も実により五輪の塔だと絶賛しているとのこと。

遺髪がこの五輪の塔に納められていて、辞世の歌碑「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」がある。

ちなみに蒲生氏郷は織田信長の女婿です。

この興徳寺には土方歳三を参謀とした伝習第一大隊の隊長秋月登之助の墓もある。

合祀されているので若干わかりにくい。

②近藤勇の墓

P1010664

飯盛山を出た後(16時前くらい)、ソースカツ丼を食べるため17時まで時間があるので、もともと行く予定だった墓巡りをすることにした。

飯盛山を出てすぐの道(飯盛山通り)を南に下って(若松城方面だから逆走)、1.5kmほどで山(東山か?)がある。

そこに愛宕神社がある。

かなりの石段(数百段)を登る必要があって、結構大変です。

まず人はいない。

この愛宕神社の隣の山道から近藤勇の墓に行けるのだが、大体の人は後述する天寧寺の方からきっと行く。

この愛宕神社前には松平容保公の胸像があり、愛宕神社内には盤山画の「関羽の図」という絵馬があった。

神社内の上に飾られているので発見しにくいし、暗くて見えにくい。

盤山というのは萩原盤山(1772~」1846)という江戸時代の画家のようです。

案内図があるので、近藤勇の墓には迷うことなく行けると思う。

近藤勇は戊辰戦争の折、千葉で力尽きて捉えられて首をはねられて、東京三鷹市の龍源寺に埋葬されたが、首は京都の三条大橋下流にさらされていたところ、何者かが持ち去ってこの地に埋めたそうです。

伝説では土方が斎藤一に近藤の首を取りに行かせて埋めたとか、遺髪だけを埋めたとかと言われているそうです。

近藤勇の墓「貫天院殿純忠誠義大居士」の隣の慰霊碑は「歳進院誠山義豊大居士」ということで土方歳三です(いつのまに土方歳三享年より年上に。。。)。

③和泉守兼定の墓

P1010667

先の近藤勇の墓を通りすぎて進むと、天寧寺に着く。

近藤勇の墓も天寧寺に属し、この天寧寺までは車で行けるのでだいたいこちらから行くのが普通(二組ほどすれ違った)。

この天寧寺には萱野権兵衛や郡長正という会津戦争時の会津藩の家老の墓もあるが、そちらは興味が無いのでスルーして天寧寺の麓にある刀匠和泉守兼定の墓に詣でました。

階段を登って左手側の奥の方にあります。

和泉守兼定は土方歳三の愛刀で知られてます。

刀剣乱舞で知っているオタクな女性なら知ってるかも。

④斎藤一の墓

P1010687

ソースカツ丼を食べた後、最後に斎藤一の墓を目指しました。

18時前だったし、この季節まだ暗くなる前だから大丈夫かもと思い、向かいました(一応行こうと思っていた場所です)。

また只見線の七日町駅に近い阿弥陀寺にあるので帰る際にも便利です。

とん亭から若松城へと繋がる道を西にずっと突き当りまで進んでいって、そこを右に(北に)本町通り沿いにまた突き当りまで進んでいきます。

その本町通りの途中で会津若松観光マップ上にただ「伊達政宗」と書いてある箇所があるので、なんだろうと思ってついでに見てみようと思いました。

実際あったのは看板でそこには伊達政宗が母親に毒殺されかかった場所であることが書かれてました。

政宗が秀吉から小田原征伐に参陣しろと催促を受けていた頃に、母に招かれて夕食をともにしたところ、激しい腹痛を起こして、危うく一命をとりとめました。

母は政宗の弟の小次郎を伊達家の跡目にしたかったので毒殺を図った。

その結果、小次郎は手打ちにされ、母は実家の最上家に引き取られた。

そんな場所でした。

さて、その本町通りを突き当たって左手に進むと線路があり、その手前に阿弥陀寺がありました。

新選組三番隊隊長斎藤一は、戊辰戦争時には負傷した土方歳三に代わって新選組隊長として戦った。

西軍が若松城城下に迫った時には「会津公(松平容保)あっての新選組、会津を見捨てることはできない」と会津に残って、仙台へ向かった土方と別れた。

会津藩降伏後は、いろいろあって斗南藩(青森県の方)で藤田五郎と改名し、上京し警視庁に入った(この辺はるろうに剣心のとおりか)。

そのときに松平容保の媒酌で会津藩士高木小十郎の妹時尾と結婚したとのこと。

ちなみにこの高木時尾は八重の幼なじみで、斎藤一と一緒の墓に眠っているそうです。

以上で会津若松の旅も終わり。

昼飯を食べなかったので夕食を食べる前の5時間ほどはずっと歩きぱなしで20kmくらいはあるいたのかなあ、よくもまあ歩きました。

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