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2016年7月30日 (土)

忍城

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古代蓮の里を出て忍城(おしじょう)へ向かいました。

行田市駅からだと1kmくらい、JR行田駅からだと2kmくらいあります。

ちなみに行田市ではちょうど浮き城まつりという山車をひきながら市内を踊り歩く夏のイベントが行われようとしてました(毎年7月の最終土日でやっているとのこと)。

その準備かなんかでステージ上の音量を確かめるためにおばさんがカラオケしてました。

浮き城というのは当然忍城のことで、のぼうの城で有名になったところです。

豊臣方の水攻めの逸話から浮き城とか亀城と言われてます。

忍城はのぼうの城の主人公の成田長親のご先祖様が築城した城でそのまま成田氏の支配下にありました。

北条征伐の際の城主は成田氏長で本人は小田原で籠城。

その叔父の泰季が城代として籠城し、その籠城中に急死したのでその嫡男の長親が総大将として籠城し続けた。

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その籠城中に豊臣秀吉の命で石田三成が堤で包囲して水攻めすることになった。

ちなみにもともとの通説では三成が秀吉の備中高松城の水攻めをまねて失敗して戦下手扱いにされてましたが、近年秀吉が水攻めにしろという命令書が発見されて、むしろ水攻め無理と反対しているくらいでした。

そもそも大谷吉継や真田昌幸(信繁もいたっぽい)という名将もいたんだから三成が独断で水攻めとかいったら反対するでしょう。

それはともかくそのまま守り続けて、小田原が先に落城したので開城することになった。

徳川家康の関東入り後は4男の忠吉が入って、江戸時代には阿部氏が、その阿部氏が白河に移ってからは松平氏が入ったとのこと。

その阿部氏のときに今再建された三階櫓や城門等が完成したみたいです。

で、その忍城の三階櫓には隣接する博物館の方から入ります(入場料200円)。

博物館は主に忍城の歴史、足袋、埴輪の3つに別れてました。

歴史のベースではちゃんと三成は秀吉の命で水攻めしたということが解説されてました。

足袋は行田市の名産品で日本一の生産量を誇ってました。

Photo

その足袋について当時の生産する姿や歴史が語られてました。

三階櫓の中にはお相撲さん(小錦や曙、若貴兄弟)の足袋のあしあととかがありました。

埴輪は酒巻古墳群という酒巻地区にある6世紀前半~7世紀にかけて展開された大規模な古墳群から発掘されたものです。

その中で14号墳で発掘されたもので、旗を立てた馬型埴輪があり、日本ではこれしかない。

埴輪のなんとも言えない微妙な顔には和まされます。

その博物館の過ぎたところから三階櫓に入れて、その中はいくつかの展示品があるだけです。

ついでなんで石田堤のあとがあるところに行ってきました。

これがまた忍城からは遠く、JRでいうと行田駅の隣の駅である吹上駅から行けるところです。

忍城からだと直線でも3kmほどと結構離れてます。

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結構迷いました。

石田堤は名前の通り、水攻めの際に石田三成が造った堤のあとです。

看板の解説では全長28kmに及ぶ堤を1週間で造ったそうです。

自然堤防とかをうまく利用したらしく、現存するのも自然堤防に1,2mほど土を盛ったものです。

水は荒川や利根川から入れたらしい。

というかここまで離れすぎててうまくいくとは思えないと思いました。

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一応、14kmほどは推定復元しているようですが、パッと見てすぐ分かる形ではないかなあと思います。

石田堤史跡公園もありますが、こっちには何もなく単に隣接しているだけの公園です(一応簡単な北条征伐の図はありましたが)。

今日はめちゃくちゃ天気が良くて、気温も35℃近く上がってたようで、そんな中自転車で走り回っていたので思いっきり日に焼けました。

さすがにここは自転車がなかったら周りきれなかったなあと思いましたので、電車で行く方は自転車借りた方がいいと思います。

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