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2016年7月17日 (日)

会津若松その1 若松城後編

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干飯櫓を出ると石垣の上なので、そこから降りて南走長屋の下に鉄門(くろがねもん)があり、そこがだいたい撮影スポットになっているようです。

よくある写真がここから撮った画像。

干飯櫓から出てすぐのところも撮影スポットではあるものの、若干木が邪魔でした(前編最後から2番めの写真)。

前編の最後に載せた写真に鉄門の下から撮った写真を載せてます。

鉄門を入って左側(マップでいうところの帯郭)に「上杉謙信公仮廟所跡」がありました。

全部読む前に上杉謙信は会津来てないはずだが・・・と思いましたが、これは上杉謙信は甲冑姿で瓶(かめ)に納められたと伝えられて、会津移封に伴い仮に安置されたようです。

上杉景勝が米沢移封になったあとはそっちに移動したようです。

P1010571

で、城のあとはその向かいにある茶室「麟閣」に向かいました。

麟閣は千利休の子の千少庵(女婿)のために蒲生氏郷が造った茶室です。

蒲生氏郷は利休七哲の一人で、千利休が豊臣秀吉により切腹させられた後、氏郷が少庵を会津に匿い、徳川家康とともに秀吉に対して「千家再興」を願い出た結果、許されて、千家茶道は少庵の子の宗旦に引き継がれ、その孫により武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興されて、現在に至るとのこと。

そのことからか蒲生氏郷は利休七哲の第一に上げられている。

戊辰戦争後も大切に保存されてきて、平成2年に元の場所へ移築復元したものだそうです。

P1010585

屋根付きで座れるバス停みたいな感じで、茶室に入るまでに待つ場所である「腰掛待合」、高さがやたらと低い「中門」、待ってる間他の客としゃべるスペースである「寄付」などがある。

喫茶することも可能だが、当然この茶室ではないところ(受付の横)で喫茶出来る(600円)。

目の前で点ててくれるわけではなく、事前につくって冷やされたものらしいので、侘び寂びもあったもんじゃない。

喫茶する趣味はないので、私はスルーしました。

その茶室の城壁側には「荒城の月碑」がある。

荒城の月は土井晩翠が作詞したものだが、鶴ケ城と青葉城(仙台城のこと)をモチーフにしたらしいので、ここに碑があるみたい。

P1010569

碑には荒城の月の第1番~4番までが土井晩翠の直筆で書かれている。

ちなみに茶室もそうですが、一般客は城とおみやげ屋以外にはほとんど寄り付かないみたいです。

私は石垣の上に登って一通りぐるっと周ってきました。

茶室のそばにある茶壺櫓、武器収蔵スペースだけど櫓にかかる月が一際美しかったという月見櫓(解説の中の中国語のところでは望月楼と書かれてる。月見じゃわからんのか?)などがありました。

内堀の石垣は広さもそうですが、結構高い(20mくらいあるとか)。

赤い橋の廊下橋側から見ると、その高さがわかる。

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その廊下橋から城を出て福島県立博物館の方へ向かうと、新島八重の像や司馬遼太郎文学碑などがある。

この辺りかどうかわかりませんが、新島八重が雑穀蔵に和歌を刻んだとか。

「月が物凄いように輝いていた」と回想していたくらいだから、ここから月見櫓沿いに眺めていたのかもしれない。

この後は飯盛山まで北に4kmほど歩いて移動しました。

効率よく行くなら、そのまま東に行った会津武家屋敷に行ってみるのがいいかもしれません。

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