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2016年7月17日 (日)

会津若松その1 若松城前編

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那須の長期出張もあと2週間程度で、天気予報では曇りと微妙だったのですが、出かけるチャンスもあまりないということで思い切って会津若松に行ってきました。

意外と晴れて良かったです。

会津若松へは那須からだと、黒磯駅から東北本線で郡山駅へ行き、磐越西線に乗り換えて会津若松駅まで行きます。

どちらもだいたい1時間程度(磐越西線の方は快速で)で、1時間に1本くらいしかないので、乗り換えが悪いと待ち合わせで数十分なので、だいたい2~3時間かかります。

東京からだと新幹線で郡山駅まで行くことになります。

まずは若松城へ向かいました。

若松城へは会津若松駅で只見線に乗り換えて2駅の西若松駅からの方が近いですが、乗り換えの間隔が合えばそちらでよいかもしれません(只見線は1時間に1~3本ほど走っているのでまだ乗り換えやすいかも?)。

もしくは周回バスがあるのでそちらに乗るといいでしょう。

特に後で書く飯盛山等に行くなら1dayパスなりお得なものを買った方がいいかもしれません。

私も当初はそうするつもりでしたが、どうせバスの本数少ないだろうなということで辞めました。

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歩いて行く場合は会津若松駅から南に1.8kmほど歩いて、そこから東に0.3kmほど歩いたところにあります。

途中に興徳寺(蒲生氏郷の墓(後述))や山鹿素行生誕地などがあります。

東に曲がらず、真っ直ぐ行くと大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重生誕の地があります。

新島八重(兄の山本覚馬もですが)生誕の地は完全に民家にあります(石碑が民家の玄関にある)。

たぶん普通のルート?で、追手門の方から北出丸の方面経由で若松城に入りました(追手門の前に売店等があります)。

そこから椿坂を登って太鼓門を通って行きました。

太鼓門のところの石垣には遊女石というひときわ大きな石があります。

大きな石であるため、石を運ぶ際にその上に遊女を乗せて運び人を奮起させて運ばせたことから遊女石という名が着いたようです。

こういう石垣に嵌めこまれたデカイ石として上田城の真田石があり、そういうので一番でかいのは大阪城にあるとか(蛸石とか?)。

以上のことは案内板とかにもなんにも書いておらず、たまたまツアーの団体さんのガイドさんが解説しているのを立ち聞きしました。

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その太鼓門を過ぎたところから見える若松城が左の画像です。

五層五階建てで、かなりでかい天守です。

間近でみると迫力満点です。

若松城は地元では鶴ケ城と呼ばれていて、一般的には会津若松城、史跡としては若松城跡で指定されている。

もともと若松城は、蘆名家の時代は黒川城と呼ばれていて(当然天守とかはない)、その蘆名家が伊達政宗に敗れた後はすぐに豊臣秀吉の奥州仕置によって会津は没収され、蒲生氏郷が最終的には92万石の大名として会津に封じられます。

その蒲生氏郷が築いたのがこの若松城になります(もともとは7層の予定だったらしいが)。

この若松という地名も、蒲生氏郷の出身地である近江日野城の近くにある「若松の森」に由来するし、「松」もこの松も会津に来る前に居た「松坂」に由来するとも言われている。

ちなみに松坂も、もともとは松ヶ島というところに城があったものの氏郷が不便だということで別のところに城&城下町を築き、そこを松坂という名をつけたところに由来する。

地元民や蒲生氏郷好き以外はあんまり知らないことだろうけど、氏郷はかなり有能で現代にかなり影響を及ぼしている人物です。

また別名の鶴ケ城は氏郷の幼名の「鶴千代」や家紋の舞鶴に由来する。

あと伝統工芸品に会津漆器があるが、これも氏郷が会津に移った際に日野とか松坂にいた漆器職人が氏郷をしたって付いて来て定着した工芸品だったりします。

その後蒲生氏郷が若くして死んだりその子が若いということもあって、次に来たのが上杉景勝(&直江兼続)で、関ヶ原の前哨戦として家康が上杉征伐に乗り出したところでもあって有名です。

このときに若松城に代わり、その規模を超える神指城という城を築こうとしたが、思ったより早く開戦し、関ヶ原も一瞬で終わっちゃったので陽の目を観ることがありませんでした。

その神指城跡も行こうかなと思いましたが、時間がなく断念しました。

上杉の後は氏郷の子の蒲生秀行が入ったが、秀行もその子も夭折したので、その代わりに賤ヶ岳七本槍の一人である加藤嘉明が入りました。

その頃に会津地震が起きて、天守も崩壊し、その後五層建てとして再建築されたのが今の若松城の原型?

その加藤家が改易となった後は、徳川家光の弟の保科正之が入封し、明治維新の会津松平家へと続きました。

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さて、先の太鼓門側から左手側に向かって武者走りをすぎたところに天守への入り口があります。

その入口側から撮った写真が左の画像。

さすがに知名度がそこそこ高いのか人が並ぶほどではありませんが、居ました。

入場料は茶室麟閣と合わせて510円です。

若松城は外観だけの復元天守なので中は鉄筋コンクリートで展示品や企画展(歴代城主について)だけなので、展望台からの眺めを楽しみたい人以外は入ってもしょうがないかも。

Photo

企画展の展示品はだいたい見たことがあるようなものばかりでしたが、唯一見たことがなかったのが「泰西王侯騎馬図屏風」です(左の画像)。

日本人絵師がイエズス会のセミナリオ指導のもと西洋風に描いた作品とのこと。

止まっている静図(画像)のものと剣を構えて戦おうとする動図がある。

展示されているのは複製品らしいですが、でかいし意外性があって迫力ありました。

背景の金箔、墨絵による下図、彩色の岩絵の具が使用されていて日本画ぽいところもあり、和洋折衷な作品で、じっくり見てみるといいかなと思います。

キリシタン大名であった蒲生氏郷に対して、イエズス会がキリスト教禁止策の緩和や南蛮貿易の後押しを願うために送られたものと考えられているようです。

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五層目の展望層からの眺めが左の画像。

下に見えているのが麟閣です。

どこでもそうですが、天守閣あたりは風がそこそこ強くて心地よいです。

そして天守を降りると、南走長屋があり、そこを過ぎると干飯櫓(文字通り食料庫)でそこがお土産屋になっている。

若松城のオリジナルの製品を始め、会津若松のお土産品、白虎隊ものとか書籍が売ってました。

私は歴史オタで蒲生氏郷ファンなので、蒲生氏郷と会津若松市史(蘆名家について)を購入しました。

とりあえず長くなったので若松城前編は写真を何枚か貼って終わりにします。

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