読書メーター

  • BINさんの読書メーター

ブクログ

Powered by Six Apart

アクセスランキング

« 会津若松その2 ソースカツ丼 | メイン | 会津若松その4 墓巡り »

2016年7月17日 (日)

会津若松その3 飯盛山&さざえ堂

P1010616

飯盛山(いいもりやま)は若松城から途中寄り道しましたが、30分くらいで着きました。

ちなみに南アルプスに飯盛山(めしもりやま)っていうのがあり、大阪の生駒山地にも飯盛山(いいもりやま)がある。

大阪の飯盛山城は三好長慶の居城であったところでもあり、山頂には楠木正行(正成の子)の銅像がある。

飯盛山は白虎隊自刃の地として知られていて、そのせいなのか若松城なみに人が多かった。

若松城に比べると年齢層は若かったような気がします。

会津若松駅を出てまっすぐ2kmくらい進むと行くので、駅からはこっちの方が近い。

戊辰戦争というか会津戦争についてはあまり知識がありませんが、会津戦争時に会津藩が組織した部隊の1つが白虎隊で16才~17才の武家男子で構成されている。

その他に名前から当然ですが玄武隊(50~56才)、青龍隊(36~49才)、朱雀隊(18~35才)があり、それ以外にも年少隊(14~15才)、娘子隊(薙刀もった武士娘)などなどいっぱいある。

白虎隊は会津戦争ではあくまでも支援だけだったが、戦況が厳しくなると前線に投入され、各拠点の防衛につき、20名(総勢で340名程度)が飯盛山に撤退。

飯盛山から眺めた戦闘による市中火災の模様を見て結果20名が自刃を決行した(一人飯沼貞吉だけ喉をついたけど一命をとりとめて生き残った)。

P1010652

画像はその飯盛山の登り口でおみやげ屋さんがあり、新選組の陣羽織とかも売られている。

また出店としてはソース串かつとか、あわまんじゅうやちゃまんじゅう等が売っている。

あわまんじゅうは販売カウンターの横で蒸されてます。

画像があわまんじゅう。

粟まんじゅうの由来は「今からおよそ170年前、日本三大虚空蔵尊の一つ福満虚空蔵尊のその界わいが大火災にあって、当時の喝巌和尚が2度と災難に「アワ」ないようにとの饅頭をつくり信者一般に御護符として配ったものが以来、柳津の名物となった」と言われています。

で、その登り口からスロープコンベアがあり、それに乗るとすぐに白虎隊の霊場があります。

が、スロープコンベアは有料で、気付かずに乗ろうとすると切符を買ってくださいと怒られます。

そのとなりに階段もありますが、ちょっと急なのでどちらかという下る際に利用する。

P1010620

なので、普通?はそこから左に逸れて、白虎隊記念館のある道を通り、そこから緩い坂を登ってさざえ堂経由で行くのが基本ぽいです。

白虎隊記念館は資料1万2千点が展示されてます。

あまり広くないので、ほんと所狭しと並べられてます。

白虎隊だけでなく会津戦争に関わった会津軍(新島八重とかも含む)や新選組、敵方の板垣退助とか山県有朋などそっちに関する資料も展示されている。

おじいさんじゃない35才くらいの板垣退助の写真もありました。

自刃した白虎隊の短刀や近藤勇の鉢がね、白虎隊自刃の図(佐野石峰筆)などなど。

しょこたんが来たということでそのときの写真もありました。

P1010629_2

入場料は400円。

そこを過ぎて登ると巌島神社(厳島神社ではない)がある。

弁天様として親しまれていることから、飯盛山を弁天山とも言うそうです。

厳島神社の左手側には戸ノ口堰洞穴という洞穴があり、これは会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴で、戊辰戦争のとき白虎隊が若松城の様子を確認するため飯盛山に向かう際にこの洞穴をくぐったそうです。

そこを少し登ると、さざえ堂があります。

正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」と言うらしい。

P1010633

その形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

想像しにくいですが、うまく螺旋構造を組み合わせて設計されているみたいです。

私の好きな推理漫画「Q.E.D.」のクラインの塔という話で、このさざえ堂をモデルにした建築物が出てきたのでなんとなく覚えてました。

中はやたらと御札が貼られてます。

千社札と言って、神社や仏閣に参拝を行った記念として貼る物で、自分の名前や住所を書き込んだ札らしい。

だいたい1分位で1週回れます。

拝観料は400円。

思ったよりお高いですが、来た際には一度入ってみるといいでしょう。

狭いですが。

P1010646

そこから進んでいくと先のスロープコンベアに合流し、白虎隊霊場に辿り着きます。

その左手側に白虎隊十九士の墓があります(左の画像)。

線香は霊場のところにセルフサービスで売ってます。

残りの一士の墓もありますが、自刃の地との間のところに1つぽっつりと建ってます。

その他に霊場には、白虎隊を讃えたローマ市民からとして、ムッソリーニ(ファシスタ党の)から古代円柱に青銅の鷲の像の碑があったり、同様にドイツからの記念碑なんかもある。

霊場から右に行くと、途中に飯沼貞吉の墓があり、そこを通り過ぎると白虎隊自刃の場がある。

P1010647

ここには大分人が集まってました。

ここで白虎隊は自刃した訳ですが、戊辰戦争後も会津藩は朝敵なので白虎隊の遺体はそのまま放置しておくようにと明治政府は命じたそうで(埋葬禁止令)、その結果遺品は盗賊に剥ぎ取られるわ、遺体は動物に食われるわと悲惨な状態になったそうだ。

それを不憫に思った当時の山主飯盛正信がこっそり骨を拾ったり、今の墓前広場の一角に仮埋葬したらしいが、バレてしまい、掘り起こされて元の場所に投げ捨てられたとのこと。

武士道精神はどこにいったのやら。

飯盛正信たちも処罰を受けて、許されたときにもやつれきってしまったとか。

ちなみにここから鶴ケ城は見えますが、かなり小さくて言われないとわからないくらいのサイズでした。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/349117/33885289

会津若松その3 飯盛山&さざえ堂を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿