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2016年7月

2016年7月30日 (土)

忍城

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古代蓮の里を出て忍城(おしじょう)へ向かいました。

行田市駅からだと1kmくらい、JR行田駅からだと2kmくらいあります。

ちなみに行田市ではちょうど浮き城まつりという山車をひきながら市内を踊り歩く夏のイベントが行われようとしてました(毎年7月の最終土日でやっているとのこと)。

その準備かなんかでステージ上の音量を確かめるためにおばさんがカラオケしてました。

浮き城というのは当然忍城のことで、のぼうの城で有名になったところです。

豊臣方の水攻めの逸話から浮き城とか亀城と言われてます。

忍城はのぼうの城の主人公の成田長親のご先祖様が築城した城でそのまま成田氏の支配下にありました。

北条征伐の際の城主は成田氏長で本人は小田原で籠城。

その叔父の泰季が城代として籠城し、その籠城中に急死したのでその嫡男の長親が総大将として籠城し続けた。

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その籠城中に豊臣秀吉の命で石田三成が堤で包囲して水攻めすることになった。

ちなみにもともとの通説では三成が秀吉の備中高松城の水攻めをまねて失敗して戦下手扱いにされてましたが、近年秀吉が水攻めにしろという命令書が発見されて、むしろ水攻め無理と反対しているくらいでした。

そもそも大谷吉継や真田昌幸(信繁もいたっぽい)という名将もいたんだから三成が独断で水攻めとかいったら反対するでしょう。

それはともかくそのまま守り続けて、小田原が先に落城したので開城することになった。

徳川家康の関東入り後は4男の忠吉が入って、江戸時代には阿部氏が、その阿部氏が白河に移ってからは松平氏が入ったとのこと。

その阿部氏のときに今再建された三階櫓や城門等が完成したみたいです。

で、その忍城の三階櫓には隣接する博物館の方から入ります(入場料200円)。

博物館は主に忍城の歴史、足袋、埴輪の3つに別れてました。

歴史のベースではちゃんと三成は秀吉の命で水攻めしたということが解説されてました。

足袋は行田市の名産品で日本一の生産量を誇ってました。

Photo

その足袋について当時の生産する姿や歴史が語られてました。

三階櫓の中にはお相撲さん(小錦や曙、若貴兄弟)の足袋のあしあととかがありました。

埴輪は酒巻古墳群という酒巻地区にある6世紀前半~7世紀にかけて展開された大規模な古墳群から発掘されたものです。

その中で14号墳で発掘されたもので、旗を立てた馬型埴輪があり、日本ではこれしかない。

埴輪のなんとも言えない微妙な顔には和まされます。

その博物館の過ぎたところから三階櫓に入れて、その中はいくつかの展示品があるだけです。

ついでなんで石田堤のあとがあるところに行ってきました。

これがまた忍城からは遠く、JRでいうと行田駅の隣の駅である吹上駅から行けるところです。

忍城からだと直線でも3kmほどと結構離れてます。

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結構迷いました。

石田堤は名前の通り、水攻めの際に石田三成が造った堤のあとです。

看板の解説では全長28kmに及ぶ堤を1週間で造ったそうです。

自然堤防とかをうまく利用したらしく、現存するのも自然堤防に1,2mほど土を盛ったものです。

水は荒川や利根川から入れたらしい。

というかここまで離れすぎててうまくいくとは思えないと思いました。

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一応、14kmほどは推定復元しているようですが、パッと見てすぐ分かる形ではないかなあと思います。

石田堤史跡公園もありますが、こっちには何もなく単に隣接しているだけの公園です(一応簡単な北条征伐の図はありましたが)。

今日はめちゃくちゃ天気が良くて、気温も35℃近く上がってたようで、そんな中自転車で走り回っていたので思いっきり日に焼けました。

さすがにここは自転車がなかったら周りきれなかったなあと思いましたので、電車で行く方は自転車借りた方がいいと思います。

田んぼアート ~古代蓮の里

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次は行田市に行きました。

行田市には寄居駅から秩父線で行田市駅まで一本でいけます。

今回行田市駅に行った目的は本稿の田んぼアートと次稿の忍城です。

忍城は前から行ってみようとは思ってたのですが、遠いし他に目的もなかったのでなかなか腰を上げなかったのですが、今回田んぼアートでドラゴンクエストをやったと聞いたので行ってみた。

行田市の田んぼアートは平成20年ころからやってみるたいです。

昨年に最大の田んぼアートとしてギネス記録にもなっている。

ちょうど今頃の8月上旬に稲の背丈も最も大きくなり、それぞれの色がはっきりしてきて、絵柄も明るく色の違いがはっきりする美しいなアートになるとHPには書いてます。

一応7月中旬~10月中旬くらいは見られるそうです。

今日行った感じでは滅茶苦茶人が多いわけではありません。

で、この田んぼアートはどこで見れるかという「古代蓮の里」というところで見れます。

ここは市の天然記念物に指定されている行田蓮(古代蓮)が見れ、その行田蓮以外にもほかの蓮42種類や、水生植物園、水鳥の池、牡丹園、梅林、桜の木のあるお花見広場があります。

ただ蓮の季節は6月下旬~8月上旬で今日見た感じではほとんど咲いてませんでした(ざっくりしか見てませんが)。

行田市駅から古代蓮の里へは結構遠い(4.5kmくらい)です。

巡回バスもありますが、いつものごとく本数は少ないです。

いつもなら歩いていってそうなもんですが、今回は行田市の無料レンタルサイクルを利用しました。

レンタルサイクルは6スポット(観光案内所、忍城跡、古代蓮の里、観光案内所、JR行田駅、はにわの館)で借りることができ、それのどこかで返せばいいので便利です。

基本16時までですが、それを超えたら各スポットに置いて鍵をポストに入れるだけでいいということです。

私は行田市駅の近くにある観光案内所で借りて、そこからだいたい15分弱くらいで古代蓮の里へ着きました。

その古代蓮の里にある展望台から観ることができます。

田んぼに刺さってる杭の総本数が4,683本、ロープの総延長が10kmとのこと。

広さは約2.8ha(28,000㎡)

今年は初代ドラゴンクエストのイラストです。

最初の画像を見て分かるようにうまく出来てるなあと思いました。

やっぱりでかいし迫力あります。

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子供が喜びそうなもんです(今の子供は知らんか・・・ポケモンのほうがよかったんじゃあ)。

ちなみに2011年のぼうの城、2012年のぼうの城(映画公開)、2013年古代蓮の精、2014年古の行田(みずらの古代人と馬の埴輪)、2015年未来へつなぐ古の軌跡(古代蓮、地球、子どもたち、古代蓮、宇宙)だったようです。

ちなみに左の画像は地上から撮ったものです。

さすがによくわかりませんが、勇者の剣のところくらいはなんとなくわかりそうです。

見ればわかるとおり道があるので、このアートの中に入れますが、さすがに上から観覧してる人の邪魔になりそうだし、写真に載ってしまうかもしれないので辞めました。

最後にドアップで撮った写真を貼っつけて終わります。

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鉢形城

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今日は埼玉県の城へ行くことにしました。

まずは日本百名城の1つである鉢形城跡に行きました(これで22城目)。

鉢形城跡には東武東上線の鉢形駅か寄居駅から行けます。

寄居駅からの方が若干近くどちらにしろ歩いて10数分の距離です。

寄居駅は秩父線とかの乗り換えもできるのでそっちのほうが便利ですね。

どちらにしろ埼玉県にある城は横浜からだと2時間程度かかるのでなかなか目的地絞らないときついです。

さて鉢形城ですが、天守とかはなく本当に跡だけです。

歴史的には戦国時代の初期の初期に山内上杉氏の家宰である長尾景春(太田道灌のライバルというかやられまくった人)が築城したそうです。

ちなみにこの景春は父親が跡継ぎとして弟を選び、ついでに主君も弟を家宰として選んだのでそれにブチ切れて乱をおこした人物で、主君を追い出して下剋上に成功してます。

その後は北条氏が領して、豊臣秀吉の北条攻めの前には北条氏康の三男の北条氏邦(北関東司令官的な人物)が本拠地としてします。

重要な拠点なので武田信玄や上杉謙信にも攻撃されてます。

秀吉の北条攻めでは氏邦が小田原に呼ばれてたため、家臣が3000で守ってましたが35000で攻められて1ヶ月後に降伏してます。

真田昌幸も参加しているので、大河ドラマで出てるかもしれません(まあ出ないか)。

徳川関東入り後は可もなく不可もなしな感じなので特にありません。

関東にある城跡としては比較的きれいに残されているようで、だから国指定史跡に選ばれているのかも知れません。

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確かに土塁やら空堀はきれいに残されてます。

左の写真は建築物としてある唯一?のもので三の曲輪にある虎口(こぐち)という出入り口です(小口ともいう)。

もともと畑だったらしいですが、発掘調査の結果、石積土塁という珍しい土塁が発掘されたらしい(次の写真)。

ググってみても石積土塁で出てくるのは鉢形城くらいで、あとは美作(旧国名で今の岡山県の北側)の津山城くらいです。

解説によると虎口は防御の要であり出撃しやすくすることで攻撃性を高めることが出来るため、城郭の発達段階をよく表す部分らしいです。

虎口の前には馬出(虎口を守るとともに内部の城兵の動きをさとられないようにするための施設。真田丸もそれ)があり、北条家の馬出は角馬出で四角形の形をしているのが特徴的だそうです。

あとはこの三の曲輪の虎口から入ったところには四阿(あずまや)的ななにかがありましたが、これは解説によると発掘調査で掘立柱建物の跡があったらしく、それを表現しているようです。

普通に入れそうなので休憩所代わりに使えそうです。

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あとは鉢形城歴史館がありますが今回はパスしました(入館料は200円、小さい。。。)。

最後にこの寄居町のB級グルメとして「戦国ハーぶ~丼」を食べました。

寄居町の特産品であるエキナセア(ハーブの一種)を粉末にし、焼肉のタレとブレンドして特製ダレを作り、豚肉にからめてご飯に乗せた寄居町のB級ご当地グルメだそうです。

鉢形城跡と寄居駅の間にある(寄居駅から数分)山崎屋で食べました。

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旅館ですが、食べるだけでもOKです。

値段は780円。

豚丼自体は塩ダレですが、端にあるにんにく味噌と一緒に食べると、また違った味がして、にんにく味噌と一緒に食べた方が私には合いました(うまい)。

店によっていろいろ違うみたいです。

2016年7月23日 (土)

二本松城

P1010721福島県二本松市にある二本松城(霞ヶ城)跡に行ってきました。

日本100名城の1つで、今どれくらい行ってるかなあとカウントしてみると21箇所行ってみるみたいです。

日本100名城は天守がないところもカウントされているので意外と行ってないところも多いです(吉野ヶ里遺跡がカウントされてるくらいなので)。

二本松城は郡山駅から東北本線福島行きで30分位のところの二本松駅から歩いて10分くらいのところです。

途中に丘があるので、それを越える必要があります。

二本松城は戊辰戦争のときに白虎隊のごとく二本松少年隊という12才~17才が動員されて戦ったところから有名?です。

が、個人的に知っていたのは戦国時代の頃に畠山義継(二本松義継)という城主が居て伊達政宗の猛攻を受けて降伏するも大半の土地を没収されることになった。

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それに対して恨んだ義継が政宗の父である輝宗に降伏条件の緩和を政宗に頼んでくれと願いに行った際にその輝宗を拉致し、その急報を受けた政宗が向かったところ、このままでは拉致されるので、輝宗が「儂もろとも殺ってしまえ」といって、その通りに政宗が両者ともども射殺したという話があります。

その後、政宗は二本松城を攻めるも義継の子が死守した結果、なんだかんだで撃退してます。

ちなみに江戸時代はもともと白河小峰城主だった丹羽長重の孫の光重が移封してきて明治維新まで丹羽氏の居城になってました。

で、この二本松城というか霞ヶ城公園に入り口には上の画像のように二本松少年隊の像があり、よくある写真ではよく少年隊だけよく写ってますが実はその後ろに女性の像もあります。

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これは出陣する我が子のために出陣服に丹羽氏の家紋(直違紋(すじかいもん))の肩章を万感の思いで縫い付ける母の像を表したものだそうです。

霞ヶ城公園は再建された石垣と箕輪門があります。

入り口のところもそうですが、全体的に松が多いというか、松ばかりです。

箕輪門を入ったところが公園?として整備されていて、霞ヶ池やるり池等があります。

ただ霞ヶ池は蓮かなんかが浮かんでいて池面が見えないし、るり池も濁っているのであまり景観は良くなかったかなあ。

またその池の近辺には小さな滝がいっぱいあります。

相生の滝、霞ケ滝、七ツ滝、布袋滝、洗心滝。

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霞ヶ池には結構な大きさの藤棚があります。

今の季節はもう緑ですが、藤の季節は5月ころなので桜もあるので、行くなら4月末とか5月初旬がいいかもしれない。

全体的に福島県は桜の名所が多いので、その季節に行くのがベストだと思われます。

また霞ヶ池に隣接するところに洗心亭という城内に唯一残る江戸期の建造物の木造茅葺屋根の茶亭があります(画像の上の方に見えるやつ)。

もとは「墨絵の御茶屋」と行ったそうですが、洗心滝に感じ入った丹羽家16代当主が洗心亭と改名したそうです。

洗心滝は滝の中でも一番高いところにあり、城内の滝の中では一番迫力はありました。

そして、るり池からちょこっと登ったところに霞ヶ城の傘松があります。

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別称「八千代の松」というアカマツの巨木で、根本周囲3m、樹高4.5mあり、地上1.6mのところで1本の幹から三方に枝分かれして傘状に広がってます。

樹齢は350年を越えるみたいです。

二本松市指定の天然記念物ですが、その向かい(西側)にこっそり同様に二本松市指定天然記念物であるイロハカエデがある。

こちらも樹齢は350~400年らしい。

紅葉の季節でないと目立たないかもしれない。

この傘松を超え、洗心滝を登ったところに見晴台があります。

今日は残念ながら曇りだったのですが、たしかに見晴らしがいい場所です。

晴れていれば、二本松市の登山スポットである安達太良山(標高1700m)がしっかり見えたはずですが、雲で覆い隠されてました(本丸跡でも同じですが)。

二本松城の本丸は標高345mの白旗が峰上にあるので、周りに比べて高いので本丸跡の見晴らしは非常に良い。

この見晴台から少し登ったところに搦手門跡と少年隊の丘に顕彰碑がありました。

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搦手門跡は登っていいのかわかりませんが、登れます。

この少年隊の丘からアジサイの小径(まだアジサイは咲いてましたが、枯れかけてました)を通って行くと、「日影の井戸」という日本の三井と言われる井戸があります。

他の井戸は千葉の「月影の井戸」、神奈川の「星影の井戸」とのこと。

看板によるとこれは『月影の井』縁起の中の「清水湧出して四時渇水することなし、伝言、大菅豊後守の水行場と又月かげの井と称して、鎌倉星の井、奥州二本松の日の井と共に日本三井一なりと言う」に由来しているとのこと。

昭和の初期頃までは俗称で底なし井戸、古老の言い伝えで「ひのゐ」、「蔭の井」と言われていたそうな。

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井戸の深さは16mで、今でも湧き水が出ているそうです。

さて、さらに登って行くと本丸跡があります。

もともとは室町時代の奥州探題(といっても4家ほどいましたが)であった畠山市の居城だった場所です。

今は石垣だけで、全面修築復元工事(総工費訳5億3000万円)が終わってます。

ここが霞ヶ城だと言わんばかりに石碑として「奥州探題畠山氏居城 霞ヶ城跡」と書いてます。

一番高いところなので、全方位見れます。

先に書いたように全面薄っすらと山が見えていい景色です。

雲がなければもっと景色がよかったかもしれない。

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ということで、二本松城をいろいろ見ながら周ってるとなんだかんだで2時間近く過ごしてました。

やはり来るなら春か秋がいいですね。

で、最後に二本松近辺として安達ケ原ふるさと村とか歩いて行ってみましたが、特別書くようなことがないので割愛します。

また二本松のグルメ的なものは特にありませんでしたが、ここでも食べれる「なみえ焼そば」を食べました。

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店は二本松駅の近くにある「杉乃家」。

注文したのはなみえ焼きそばとうな丼のセット(1650円)。

なみえ焼そば単品だと650円です。

浪江焼きそばの定義は

①中華麺より太い麺

②具材は豚肉ともやし

③濃厚なソース

だそうです。

うどんより細いかなあという麺でしたが、焼きうどんよりかは食べやすかった。

食いごたえのある焼きそばという点以外はあんまり普通の焼きそばと変わらないかなあという印象です。

ということで今日は二本松を歩いてきました。

今週で那須出張も終わりなので、他に行きたいところとして大内宿やあぶくま洞、相馬野馬追祭(今日開催!だけど予約していくべきところ)とかありましたが、断念しました。

次回行くことがあれば行きたいところです。

2016年7月18日 (月)

晩翠橋

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那須塩原市の観光スポットを見てみると晩翠橋という橋があり、今住んでる家の近所なので行ってきました。

駅挟んで反対側なんで基本的には行かない方向です。

那須IC方面に行く場合に通る橋ですかね、前に仕事で那須ICに行った時に通過したような気もします。

晩翠橋は黒磯と那須を結ぶ架け橋で、アーチ型の白い橋です。

下に流れるのは那珂川で遡上鮎で有名らしい。

実際に釣り人が結構居ました(アユ3匹1000円とか旗が出てたような・・・)。

水面からの高さ約21メートル、長さ約128メートルの美しいバランスドアーチ橋として県下有数の名橋と言われているそうです。

上路ブレースドリブ・バランスドアーチ橋で歴史的にも景観的にも貴重な橋で土木学会推奨土木遺産に指定されていて、全国に2例しかない橋梁形式らしい。

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ブレースドリブアーチ(Braced-rib arch)は三角形を組み合わせたトラス構造のアーチのこと、バランスドアーチ橋(Balanced Arch Bridge)は中間の2支点を中心にバランスをとっている構造のこと。

看板によると「晩翠」の由来は不明らしい。

この橋はすでに5代目(昭和7年)。

クリスマスシーズンにはライトアップされるそうです。

確かに支点のところにライトがありました。

ライトアップされなくても白が映えた綺麗な橋ですが、ライトアップされると良さそうです。

気にしなければ通過するだけで終わってしまいそうですが。

2016年7月17日 (日)

会津若松その4 墓巡り

軽く調べながら書いているので、記事を書くのにやたらと時間がかかってます。

最後に何箇所か墓巡りしたので、それを記載します。

①蒲生氏郷の墓

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蒲生氏郷の墓は会津若松駅から若松城に向かう途中の、バス停で言うところの「神明通り」の近くにある興徳寺にあります。

氏郷公の歌碑もあり、歌は名作・優雅な点などから文学的にもとりわけ高い評価を受けている。

墓である五輪の塔は司馬遼太郎の「街道をゆく」の中で古風で堂々として姿も実により五輪の塔だと絶賛しているとのこと。

遺髪がこの五輪の塔に納められていて、辞世の歌碑「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」がある。

ちなみに蒲生氏郷は織田信長の女婿です。

この興徳寺には土方歳三を参謀とした伝習第一大隊の隊長秋月登之助の墓もある。

合祀されているので若干わかりにくい。

②近藤勇の墓

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飯盛山を出た後(16時前くらい)、ソースカツ丼を食べるため17時まで時間があるので、もともと行く予定だった墓巡りをすることにした。

飯盛山を出てすぐの道(飯盛山通り)を南に下って(若松城方面だから逆走)、1.5kmほどで山(東山か?)がある。

そこに愛宕神社がある。

かなりの石段(数百段)を登る必要があって、結構大変です。

まず人はいない。

この愛宕神社の隣の山道から近藤勇の墓に行けるのだが、大体の人は後述する天寧寺の方からきっと行く。

この愛宕神社前には松平容保公の胸像があり、愛宕神社内には盤山画の「関羽の図」という絵馬があった。

神社内の上に飾られているので発見しにくいし、暗くて見えにくい。

盤山というのは萩原盤山(1772~」1846)という江戸時代の画家のようです。

案内図があるので、近藤勇の墓には迷うことなく行けると思う。

近藤勇は戊辰戦争の折、千葉で力尽きて捉えられて首をはねられて、東京三鷹市の龍源寺に埋葬されたが、首は京都の三条大橋下流にさらされていたところ、何者かが持ち去ってこの地に埋めたそうです。

伝説では土方が斎藤一に近藤の首を取りに行かせて埋めたとか、遺髪だけを埋めたとかと言われているそうです。

近藤勇の墓「貫天院殿純忠誠義大居士」の隣の慰霊碑は「歳進院誠山義豊大居士」ということで土方歳三です(いつのまに土方歳三享年より年上に。。。)。

③和泉守兼定の墓

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先の近藤勇の墓を通りすぎて進むと、天寧寺に着く。

近藤勇の墓も天寧寺に属し、この天寧寺までは車で行けるのでだいたいこちらから行くのが普通(二組ほどすれ違った)。

この天寧寺には萱野権兵衛や郡長正という会津戦争時の会津藩の家老の墓もあるが、そちらは興味が無いのでスルーして天寧寺の麓にある刀匠和泉守兼定の墓に詣でました。

階段を登って左手側の奥の方にあります。

和泉守兼定は土方歳三の愛刀で知られてます。

刀剣乱舞で知っているオタクな女性なら知ってるかも。

④斎藤一の墓

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ソースカツ丼を食べた後、最後に斎藤一の墓を目指しました。

18時前だったし、この季節まだ暗くなる前だから大丈夫かもと思い、向かいました(一応行こうと思っていた場所です)。

また只見線の七日町駅に近い阿弥陀寺にあるので帰る際にも便利です。

とん亭から若松城へと繋がる道を西にずっと突き当りまで進んでいって、そこを右に(北に)本町通り沿いにまた突き当りまで進んでいきます。

その本町通りの途中で会津若松観光マップ上にただ「伊達政宗」と書いてある箇所があるので、なんだろうと思ってついでに見てみようと思いました。

実際あったのは看板でそこには伊達政宗が母親に毒殺されかかった場所であることが書かれてました。

政宗が秀吉から小田原征伐に参陣しろと催促を受けていた頃に、母に招かれて夕食をともにしたところ、激しい腹痛を起こして、危うく一命をとりとめました。

母は政宗の弟の小次郎を伊達家の跡目にしたかったので毒殺を図った。

その結果、小次郎は手打ちにされ、母は実家の最上家に引き取られた。

そんな場所でした。

さて、その本町通りを突き当たって左手に進むと線路があり、その手前に阿弥陀寺がありました。

新選組三番隊隊長斎藤一は、戊辰戦争時には負傷した土方歳三に代わって新選組隊長として戦った。

西軍が若松城城下に迫った時には「会津公(松平容保)あっての新選組、会津を見捨てることはできない」と会津に残って、仙台へ向かった土方と別れた。

会津藩降伏後は、いろいろあって斗南藩(青森県の方)で藤田五郎と改名し、上京し警視庁に入った(この辺はるろうに剣心のとおりか)。

そのときに松平容保の媒酌で会津藩士高木小十郎の妹時尾と結婚したとのこと。

ちなみにこの高木時尾は八重の幼なじみで、斎藤一と一緒の墓に眠っているそうです。

以上で会津若松の旅も終わり。

昼飯を食べなかったので夕食を食べる前の5時間ほどはずっと歩きぱなしで20kmくらいはあるいたのかなあ、よくもまあ歩きました。

会津若松その3 飯盛山&さざえ堂

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飯盛山(いいもりやま)は若松城から途中寄り道しましたが、30分くらいで着きました。

ちなみに南アルプスに飯盛山(めしもりやま)っていうのがあり、大阪の生駒山地にも飯盛山(いいもりやま)がある。

大阪の飯盛山城は三好長慶の居城であったところでもあり、山頂には楠木正行(正成の子)の銅像がある。

飯盛山は白虎隊自刃の地として知られていて、そのせいなのか若松城なみに人が多かった。

若松城に比べると年齢層は若かったような気がします。

会津若松駅を出てまっすぐ2kmくらい進むと行くので、駅からはこっちの方が近い。

戊辰戦争というか会津戦争についてはあまり知識がありませんが、会津戦争時に会津藩が組織した部隊の1つが白虎隊で16才~17才の武家男子で構成されている。

その他に名前から当然ですが玄武隊(50~56才)、青龍隊(36~49才)、朱雀隊(18~35才)があり、それ以外にも年少隊(14~15才)、娘子隊(薙刀もった武士娘)などなどいっぱいある。

白虎隊は会津戦争ではあくまでも支援だけだったが、戦況が厳しくなると前線に投入され、各拠点の防衛につき、20名(総勢で340名程度)が飯盛山に撤退。

飯盛山から眺めた戦闘による市中火災の模様を見て結果20名が自刃を決行した(一人飯沼貞吉だけ喉をついたけど一命をとりとめて生き残った)。

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画像はその飯盛山の登り口でおみやげ屋さんがあり、新選組の陣羽織とかも売られている。

また出店としてはソース串かつとか、あわまんじゅうやちゃまんじゅう等が売っている。

あわまんじゅうは販売カウンターの横で蒸されてます。

画像があわまんじゅう。

粟まんじゅうの由来は「今からおよそ170年前、日本三大虚空蔵尊の一つ福満虚空蔵尊のその界わいが大火災にあって、当時の喝巌和尚が2度と災難に「アワ」ないようにとの饅頭をつくり信者一般に御護符として配ったものが以来、柳津の名物となった」と言われています。

で、その登り口からスロープコンベアがあり、それに乗るとすぐに白虎隊の霊場があります。

が、スロープコンベアは有料で、気付かずに乗ろうとすると切符を買ってくださいと怒られます。

そのとなりに階段もありますが、ちょっと急なのでどちらかという下る際に利用する。

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なので、普通?はそこから左に逸れて、白虎隊記念館のある道を通り、そこから緩い坂を登ってさざえ堂経由で行くのが基本ぽいです。

白虎隊記念館は資料1万2千点が展示されてます。

あまり広くないので、ほんと所狭しと並べられてます。

白虎隊だけでなく会津戦争に関わった会津軍(新島八重とかも含む)や新選組、敵方の板垣退助とか山県有朋などそっちに関する資料も展示されている。

おじいさんじゃない35才くらいの板垣退助の写真もありました。

自刃した白虎隊の短刀や近藤勇の鉢がね、白虎隊自刃の図(佐野石峰筆)などなど。

しょこたんが来たということでそのときの写真もありました。

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入場料は400円。

そこを過ぎて登ると巌島神社(厳島神社ではない)がある。

弁天様として親しまれていることから、飯盛山を弁天山とも言うそうです。

厳島神社の左手側には戸ノ口堰洞穴という洞穴があり、これは会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴で、戊辰戦争のとき白虎隊が若松城の様子を確認するため飯盛山に向かう際にこの洞穴をくぐったそうです。

そこを少し登ると、さざえ堂があります。

正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」と言うらしい。

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その形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。

想像しにくいですが、うまく螺旋構造を組み合わせて設計されているみたいです。

私の好きな推理漫画「Q.E.D.」のクラインの塔という話で、このさざえ堂をモデルにした建築物が出てきたのでなんとなく覚えてました。

中はやたらと御札が貼られてます。

千社札と言って、神社や仏閣に参拝を行った記念として貼る物で、自分の名前や住所を書き込んだ札らしい。

だいたい1分位で1週回れます。

拝観料は400円。

思ったよりお高いですが、来た際には一度入ってみるといいでしょう。

狭いですが。

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そこから進んでいくと先のスロープコンベアに合流し、白虎隊霊場に辿り着きます。

その左手側に白虎隊十九士の墓があります(左の画像)。

線香は霊場のところにセルフサービスで売ってます。

残りの一士の墓もありますが、自刃の地との間のところに1つぽっつりと建ってます。

その他に霊場には、白虎隊を讃えたローマ市民からとして、ムッソリーニ(ファシスタ党の)から古代円柱に青銅の鷲の像の碑があったり、同様にドイツからの記念碑なんかもある。

霊場から右に行くと、途中に飯沼貞吉の墓があり、そこを通り過ぎると白虎隊自刃の場がある。

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ここには大分人が集まってました。

ここで白虎隊は自刃した訳ですが、戊辰戦争後も会津藩は朝敵なので白虎隊の遺体はそのまま放置しておくようにと明治政府は命じたそうで(埋葬禁止令)、その結果遺品は盗賊に剥ぎ取られるわ、遺体は動物に食われるわと悲惨な状態になったそうだ。

それを不憫に思った当時の山主飯盛正信がこっそり骨を拾ったり、今の墓前広場の一角に仮埋葬したらしいが、バレてしまい、掘り起こされて元の場所に投げ捨てられたとのこと。

武士道精神はどこにいったのやら。

飯盛正信たちも処罰を受けて、許されたときにもやつれきってしまったとか。

ちなみにここから鶴ケ城は見えますが、かなり小さくて言われないとわからないくらいのサイズでした。

会津若松その2 ソースカツ丼

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会津若松の地元グルメとしてググってると、味噌田楽、輪箱飯、馬刺し、めっぱめしなるものが色々出てきますが、そんな中B級グルメとしては、ソースかつ丼、会津ラーメン(喜多方ラーメンと一緒か?)、カレー焼きそばなるものがある。

そんな中、やはり食っとくべきはソースかつ丼でしょう。

伝統会津ソースカツ丼の会なるものまであり、CDまで出してると言う気合の入れようです。

会津若松にはソースかつ丼のメニューがある店が多いですが、各店でいろいろと違う特色があるみたいです。

そこで最初に行こうと思ったのが、白孔雀食堂です。

丼鉢からはみ出るくらいのカツが特色でやたらと美味しそうでした。

この白孔雀食堂が若松城から飯盛山へ行く途中にあるので、若松城の次に飯盛山へ行こうと思いました。

ちなみに会津若松駅に着いたのが12時前で、若松城を出たのが14時過ぎなので14時半くらいには白孔雀食堂には着きました。

だいたいどの店もお昼は15時位までやってるっぽいので大丈夫(行列もなくなってるだろう)と思って訪れたところ、「品切れのため本日の営業は終了しました」という張り紙が。。。

確かによく調べてみると15時とか16時まで(但し、品切れになると閉店)と書いてあった。

ちなみに白孔雀食堂は一見すると店がわかりにくい、普通に古い食堂ッて感じの店でした。

がっくりきつつ、だいたいの店は15時で閉まる(というかラストオーダーは14時半くらいか)ことを考えると、もう昼飯は諦めました。

ということで夕食の17時に行こうということで、先に飯盛山に行ったり、その他墓巡りをしました(後述)。

で、今回選んだソースかつ丼の店が「とん亭」です。

とん亭は若松城から会津武家屋敷に行く途中にあります。

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17時ちょっと前に着きましたが、入れてもらえました。

かつ丼というよりカツ重です。

普通のソースカツ重で1080円、上ソースカツ重で1180円、こだわりソースカツ重で1380円とかでした。

八重うまっソースかつ丼なるものもあり、これは桜肉つまり馬肉のカツ重です。

が、今回頼んだのは期間限定の会津極上ソースカツ重1500円を頼みました。

豚肉は福島県産ブランド豚のエゴマ豚です。

これは正直滅茶苦茶美味かった。

うまいと笑いが思わず出てしまう(銀の匙でもやってましたが)。

さすがに声を出しませんが、ニヤけていたような気がします。

どこかで食べたソースカツ丼はトンカツにソースがかかってるような感じであまりおいしくなかったですが、このソースカツ丼はソースというかソースのたれにトンカツをしっかり漬けて味を着けている感じがしました。

ちょっと甘めのタレでご飯と一緒に食べるとよく合いました。

肉厚だし、結構ボリュームはありましたが簡単にペロリと食えました。

これはお勧めできるくらいに当たりです。

近所にあれば、ご褒美とか月1くらいでは行きたい感じですね。

非常に満足しました。

できればまた来たいところですが、他の店も気になるところです。

ちなみに隣の隣に一風亭という店があり、ここもソースカツ丼で有名でここにはラーメン(会津?)やらカレー焼きそばとB級グルメが揃ってます。

ラーメンとソースカツ丼のセットもあるので、両名物を食べれてお得かもしれません。

会津若松その1 若松城後編

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干飯櫓を出ると石垣の上なので、そこから降りて南走長屋の下に鉄門(くろがねもん)があり、そこがだいたい撮影スポットになっているようです。

よくある写真がここから撮った画像。

干飯櫓から出てすぐのところも撮影スポットではあるものの、若干木が邪魔でした(前編最後から2番めの写真)。

前編の最後に載せた写真に鉄門の下から撮った写真を載せてます。

鉄門を入って左側(マップでいうところの帯郭)に「上杉謙信公仮廟所跡」がありました。

全部読む前に上杉謙信は会津来てないはずだが・・・と思いましたが、これは上杉謙信は甲冑姿で瓶(かめ)に納められたと伝えられて、会津移封に伴い仮に安置されたようです。

上杉景勝が米沢移封になったあとはそっちに移動したようです。

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で、城のあとはその向かいにある茶室「麟閣」に向かいました。

麟閣は千利休の子の千少庵(女婿)のために蒲生氏郷が造った茶室です。

蒲生氏郷は利休七哲の一人で、千利休が豊臣秀吉により切腹させられた後、氏郷が少庵を会津に匿い、徳川家康とともに秀吉に対して「千家再興」を願い出た結果、許されて、千家茶道は少庵の子の宗旦に引き継がれ、その孫により武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興されて、現在に至るとのこと。

そのことからか蒲生氏郷は利休七哲の第一に上げられている。

戊辰戦争後も大切に保存されてきて、平成2年に元の場所へ移築復元したものだそうです。

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屋根付きで座れるバス停みたいな感じで、茶室に入るまでに待つ場所である「腰掛待合」、高さがやたらと低い「中門」、待ってる間他の客としゃべるスペースである「寄付」などがある。

喫茶することも可能だが、当然この茶室ではないところ(受付の横)で喫茶出来る(600円)。

目の前で点ててくれるわけではなく、事前につくって冷やされたものらしいので、侘び寂びもあったもんじゃない。

喫茶する趣味はないので、私はスルーしました。

その茶室の城壁側には「荒城の月碑」がある。

荒城の月は土井晩翠が作詞したものだが、鶴ケ城と青葉城(仙台城のこと)をモチーフにしたらしいので、ここに碑があるみたい。

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碑には荒城の月の第1番~4番までが土井晩翠の直筆で書かれている。

ちなみに茶室もそうですが、一般客は城とおみやげ屋以外にはほとんど寄り付かないみたいです。

私は石垣の上に登って一通りぐるっと周ってきました。

茶室のそばにある茶壺櫓、武器収蔵スペースだけど櫓にかかる月が一際美しかったという月見櫓(解説の中の中国語のところでは望月楼と書かれてる。月見じゃわからんのか?)などがありました。

内堀の石垣は広さもそうですが、結構高い(20mくらいあるとか)。

赤い橋の廊下橋側から見ると、その高さがわかる。

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その廊下橋から城を出て福島県立博物館の方へ向かうと、新島八重の像や司馬遼太郎文学碑などがある。

この辺りかどうかわかりませんが、新島八重が雑穀蔵に和歌を刻んだとか。

「月が物凄いように輝いていた」と回想していたくらいだから、ここから月見櫓沿いに眺めていたのかもしれない。

この後は飯盛山まで北に4kmほど歩いて移動しました。

効率よく行くなら、そのまま東に行った会津武家屋敷に行ってみるのがいいかもしれません。

会津若松その1 若松城前編

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那須の長期出張もあと2週間程度で、天気予報では曇りと微妙だったのですが、出かけるチャンスもあまりないということで思い切って会津若松に行ってきました。

意外と晴れて良かったです。

会津若松へは那須からだと、黒磯駅から東北本線で郡山駅へ行き、磐越西線に乗り換えて会津若松駅まで行きます。

どちらもだいたい1時間程度(磐越西線の方は快速で)で、1時間に1本くらいしかないので、乗り換えが悪いと待ち合わせで数十分なので、だいたい2~3時間かかります。

東京からだと新幹線で郡山駅まで行くことになります。

まずは若松城へ向かいました。

若松城へは会津若松駅で只見線に乗り換えて2駅の西若松駅からの方が近いですが、乗り換えの間隔が合えばそちらでよいかもしれません(只見線は1時間に1~3本ほど走っているのでまだ乗り換えやすいかも?)。

もしくは周回バスがあるのでそちらに乗るといいでしょう。

特に後で書く飯盛山等に行くなら1dayパスなりお得なものを買った方がいいかもしれません。

私も当初はそうするつもりでしたが、どうせバスの本数少ないだろうなということで辞めました。

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歩いて行く場合は会津若松駅から南に1.8kmほど歩いて、そこから東に0.3kmほど歩いたところにあります。

途中に興徳寺(蒲生氏郷の墓(後述))や山鹿素行生誕地などがあります。

東に曲がらず、真っ直ぐ行くと大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重生誕の地があります。

新島八重(兄の山本覚馬もですが)生誕の地は完全に民家にあります(石碑が民家の玄関にある)。

たぶん普通のルート?で、追手門の方から北出丸の方面経由で若松城に入りました(追手門の前に売店等があります)。

そこから椿坂を登って太鼓門を通って行きました。

太鼓門のところの石垣には遊女石というひときわ大きな石があります。

大きな石であるため、石を運ぶ際にその上に遊女を乗せて運び人を奮起させて運ばせたことから遊女石という名が着いたようです。

こういう石垣に嵌めこまれたデカイ石として上田城の真田石があり、そういうので一番でかいのは大阪城にあるとか(蛸石とか?)。

以上のことは案内板とかにもなんにも書いておらず、たまたまツアーの団体さんのガイドさんが解説しているのを立ち聞きしました。

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その太鼓門を過ぎたところから見える若松城が左の画像です。

五層五階建てで、かなりでかい天守です。

間近でみると迫力満点です。

若松城は地元では鶴ケ城と呼ばれていて、一般的には会津若松城、史跡としては若松城跡で指定されている。

もともと若松城は、蘆名家の時代は黒川城と呼ばれていて(当然天守とかはない)、その蘆名家が伊達政宗に敗れた後はすぐに豊臣秀吉の奥州仕置によって会津は没収され、蒲生氏郷が最終的には92万石の大名として会津に封じられます。

その蒲生氏郷が築いたのがこの若松城になります(もともとは7層の予定だったらしいが)。

この若松という地名も、蒲生氏郷の出身地である近江日野城の近くにある「若松の森」に由来するし、「松」もこの松も会津に来る前に居た「松坂」に由来するとも言われている。

ちなみに松坂も、もともとは松ヶ島というところに城があったものの氏郷が不便だということで別のところに城&城下町を築き、そこを松坂という名をつけたところに由来する。

地元民や蒲生氏郷好き以外はあんまり知らないことだろうけど、氏郷はかなり有能で現代にかなり影響を及ぼしている人物です。

また別名の鶴ケ城は氏郷の幼名の「鶴千代」や家紋の舞鶴に由来する。

あと伝統工芸品に会津漆器があるが、これも氏郷が会津に移った際に日野とか松坂にいた漆器職人が氏郷をしたって付いて来て定着した工芸品だったりします。

その後蒲生氏郷が若くして死んだりその子が若いということもあって、次に来たのが上杉景勝(&直江兼続)で、関ヶ原の前哨戦として家康が上杉征伐に乗り出したところでもあって有名です。

このときに若松城に代わり、その規模を超える神指城という城を築こうとしたが、思ったより早く開戦し、関ヶ原も一瞬で終わっちゃったので陽の目を観ることがありませんでした。

その神指城跡も行こうかなと思いましたが、時間がなく断念しました。

上杉の後は氏郷の子の蒲生秀行が入ったが、秀行もその子も夭折したので、その代わりに賤ヶ岳七本槍の一人である加藤嘉明が入りました。

その頃に会津地震が起きて、天守も崩壊し、その後五層建てとして再建築されたのが今の若松城の原型?

その加藤家が改易となった後は、徳川家光の弟の保科正之が入封し、明治維新の会津松平家へと続きました。

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さて、先の太鼓門側から左手側に向かって武者走りをすぎたところに天守への入り口があります。

その入口側から撮った写真が左の画像。

さすがに知名度がそこそこ高いのか人が並ぶほどではありませんが、居ました。

入場料は茶室麟閣と合わせて510円です。

若松城は外観だけの復元天守なので中は鉄筋コンクリートで展示品や企画展(歴代城主について)だけなので、展望台からの眺めを楽しみたい人以外は入ってもしょうがないかも。

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企画展の展示品はだいたい見たことがあるようなものばかりでしたが、唯一見たことがなかったのが「泰西王侯騎馬図屏風」です(左の画像)。

日本人絵師がイエズス会のセミナリオ指導のもと西洋風に描いた作品とのこと。

止まっている静図(画像)のものと剣を構えて戦おうとする動図がある。

展示されているのは複製品らしいですが、でかいし意外性があって迫力ありました。

背景の金箔、墨絵による下図、彩色の岩絵の具が使用されていて日本画ぽいところもあり、和洋折衷な作品で、じっくり見てみるといいかなと思います。

キリシタン大名であった蒲生氏郷に対して、イエズス会がキリスト教禁止策の緩和や南蛮貿易の後押しを願うために送られたものと考えられているようです。

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五層目の展望層からの眺めが左の画像。

下に見えているのが麟閣です。

どこでもそうですが、天守閣あたりは風がそこそこ強くて心地よいです。

そして天守を降りると、南走長屋があり、そこを過ぎると干飯櫓(文字通り食料庫)でそこがお土産屋になっている。

若松城のオリジナルの製品を始め、会津若松のお土産品、白虎隊ものとか書籍が売ってました。

私は歴史オタで蒲生氏郷ファンなので、蒲生氏郷と会津若松市史(蘆名家について)を購入しました。

とりあえず長くなったので若松城前編は写真を何枚か貼って終わりにします。

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