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2016年4月 9日 (土)

広岡浅子の伝記

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朝ドラ「あさが来た」で一躍有名になった広岡浅子の伝記を読みました。

年末年始に帰省した際にまとめて見たときに面白かったので興味を持ってました。

またこの本の著者である小前亮は中国等の歴史小説を書いていて、まだ40歳程度と若く期待している小説家でもあったので、読んでみた。

簡単に広岡浅子の経歴を書いてみると、

三井家に生まれ、広岡家(加島屋の分家)に嫁ぎ、明治維新の動乱の中、女ながら銀行や炭鉱の経営に手腕を発揮し、傾きかけていた加島屋を支え、後に日本女子大学の設立に大きな貢献をし、女子教育の普及に努めた女性実業家です。

事業としてやったことをまとめると以下になる。

・炭鉱経営(潤野炭鉱)

・加島銀行

・尼崎紡績

・日本女子大学設立

・大同生命

と多岐にわたる。

あくまでも朝ドラは広岡浅子をモデルにしたもので所々改変していて、現代的にあまり書けないというか書く必要のないところはカットしていると思われるので、違いをちょっと列挙してみます(といっても朝ドラを序盤しか見てないでの、実際は朝ドラでもあったかもしれないが)。

・浅子及びお姉ちゃんの春(ドラマでははつ)は妾の子(それも異母姉妹)

・春は27歳で病死

・浅子の夫である信五郎(ドラマでは新次郎)には妾が居て、1男3女がいる。その妾は浅子の召使いで、浅子自身が亀子を産んだ際に相当な難産だったらしく子供を産み育てるのは諦めたことで勧めたとのこと。

たぶんドラマではそれがふゆのこと。

晩年に撮った家族写真には一緒に写っている。妾なのでちょっと遠慮して少し離れた端っこですが。

・晩年はキリスト教徒に。

また画像の帯にある広岡浅子の写真の通り、当たり前ですがドラマのように可愛くはない。

時の権力者である伊藤博文だろうが西園寺公望だろうが大隈重信であろうが、言うときはためらいもなく言う、どきつい大阪のおばちゃんだったみたいです。

ただ自分の信念をしっかり持ち、突き進んだ人物のようです。

幕末から明治維新のときには確固とした信念をもった人傑が多いですね、今の日本人では考えられない。

こんなことを言っている(本文より抜粋)。

「他人を標準として行動する人は、世の毀誉褒貶に従って昨日は東、今日は西に、明日は待た東へ戻り、終にその行くべき方向を失い、価値なき生涯に終わるのである。一旦自己が善也と確信したることは仮に百万の敵が前に立ち塞がろうとも断じて盲信するだけの自信と、勇気とが出来なければこの貧しき日本国を背負うて、世界列強の競争場裡に馳駆することはできません」

やはり滅私奉公できる精神は尊く感じます。

できればこんな人物が政治家になってもらいたいのだが、今の社会じゃ無理か。

歴史ものが大好きな私としてはこういう風に御国のために働く人物のことをよく読むし大好きですが、自分のことでやりたいことがいっぱいある私としては残念ながら真似できませんねえ。

それはともかく、今まで広岡浅子の伝記らしいものはなかったらしいのですが、この本は浅子だけでなく時代背景やら周囲の人物についてもわかりやすく、参考写真も多めに掲載しており、非常に読みやすかったので、朝ドラを見てモデルとなった広岡浅子をもっと知りたいという人にはお勧めします。

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